上海(中国編1)


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 48時間かかって、上海へ到着した。家を出てから、ようやく4日目にして中国へ入国した。いよいよスタート地点に立ったのだ。


 中国は、あまり安宿は無く、中級ぐらいのホテルをドミトリー(相部屋)として開放していて、それが最も安いらしい。さらに安い民宿もあるが、これは基本的に外国人は泊まれないはずである。(しかし泊まったという人も居り、詳細は定かではない。)

 とりあえず鑑真号の中で知り合った人たちと連れ立って、港から程近い東虹大酒店(中国語で、ホテルを酒店、飯店などと言う。安宿、ゲストハウスは、旅社、招待所。)に泊まることにした。

 夏休み中ということもあってか、鑑真号の中は大学生だらけであったが、仕事を辞めて来たばかりの僕にとって、その雰囲気はどうしても馴染めないものだった。他の人たちも同じように感じていたのか分からないが、僕のドミトリーの4人が、すべて会社を辞めて来たというのも、ただの偶然だろうか。


 上海は、思った以上に暑かった。もちろん、これからの旅で、嫌という程、襲いかかるであろう暑さなど、この比ではないことぐらい、分かってはいたが、ついこの前まで、仕事をしていて、体が、いやそれ以上に、気持ちが鈍りきっていた僕は、今ひとつ、既に旅がスタートしているという実感が湧かずにいた。

 そのため、まるでリハビリでもするかのように、敢えて、この暑さの中を歩き回ることにしたのだ。

 

 かつて上海は、「魔都」(▼注1)と呼ばれていた時代があった。

 初日、西安行きのチケットを買うことに終始し、翌日に少しでもその面影を捜し求め、租界時代の上海を代表する外灘(通称バンドと呼ばれる海岸地帯)を散歩していた。


 すると、さえない中国人男がいきなり話し掛けてきた。中学校教師であるというその男は、日本語は話せないが、日本に非常に詳しく、一緒にお茶を飲もうということになった。

 そんな時いつも思うのだが、基本的に知らない人の誘いに乗るのは、危険かもしれないとも思う。しかし、それを断っていては、永遠に現地の人とコミュニケーション出来ないであろう。乗るか、断るか、その判断基準は難しい。よく聞かれるが、それは、「何となく、 雰囲気で。」としか言いようが無い。そしてそのような誘いは、アジアではよくある事なのだ。

 男が比較的高そうな地下にある店へ入ろうとした時、少し怪しいと思ったが、「お茶ぐらい、そんなに高くはないだろう。」 そう思った。

 しかし男は、いきなりビールを2つ注文した。「おい、それは違うだろう。」、そう思ったが、筆談で盛り上がる中、すっかり男のペースにはめられた、その時、急に大雨が降ってきた。

 傘は無い。酒は大好きだ。一杯ビールを飲んでしまったからには、もう止まらない。

 かなりいい気分になり、そろそろ帰ろうと思った時、一体何本のビールを飲んでいただろうか。勘定を見て、驚いた。

 「800元!!(≒13500円)」

 「そんなに飲んでないだろ!」 筆談、日本語、英語、中国語、混ぜこぜで文句を言ったが、店のオヤジは頑として、「800元!」

 「お前、ボッタくったな!!」 一緒に飲んだ男に怒鳴った。店の男2人が僕の前を遮るように立つ。しばらく沈黙が続いた。

 僕も飲んだのは確かだ。しかし一緒に飲んだ男の分まで払う理由は無い。

 半分の400元を机に叩き付けて、大雨の中、出て行った。(追いかけて来るのではないかと、少し後ろを気にしながら。)


 ずぶ濡れになりながら、よく考えるとボッタくりの割には、800元というのは安いかもしれない。確かにかなり飲んだし、かなりいい店だった。もしかしたら本当にその値段だったのか。そう自分に言い聞かせて、腹の虫を治めようとするしかなかった。


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 ▼注1「魔都」 参照文献「?」

 1842年清朝阿片戦争に敗れ、上海は南京条約により、開港を強いられた。そして、1846年には、最初のイギリスによる租界が出来る。(租界とは、国家が土地を租借するという意味で、割譲ではないが、外国が警察や行政を行うため、実態は割譲と変わらない。)その後フランスなどが加わり、日本も共同で租界を持ち、列強はここを中国侵略の拠点とした。

 上海は国際貿易港として栄えたが、同時に犯罪の巣窟にもなった。というのは、上海には3つの区分された租界エリアがあって、それら毎に警察権が違っていて、端境には取締りが及びにくかったためなのだ。加えてフランスその他は、阿片売買に裏から手を貸していたので、中国政府と言えども取り締まることが出来なかった。

 上海では、中国各地からやって来た流入者が自助組織を作り、中国政府をしのぐ勢いを持っていた。加えて内乱で難民が租界にあふれ、さらに結社、列強、阿片、賭博、そういった諸々の要素が重なり合って、「魔都」上海を作り上げたのだ。

 その様相は、第2次世界大戦が終結し、共産党がこの地を支配するまで、姿を変えつつ続くのだ。しかし現在の上海は、80年代に入ってからの大量な外来資本の流入による過剰なまでの開発ラッシュで、近代都市として膨れ上がっており、かつての「魔都」としての面影を見つけるのは難しい。