上海(中国編2)

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 来る日も来る日も、歩き回っていた。だが、僕の目を惹き付けたのは、その街並みや光景などではなく、中国人そのものであった。


 ファッションセンスとういうものは、個人の趣味、或いは、時代、地域などによって、大きく違うものだろう。また貧しくて、欲しいものが買えない、そもそも街へ行っても、格好いいものなど売っていない、という場合もアジア諸国には多い。

 そういう事情は、よく分かるのだが、格好いいとか、悪いとか、そういった次元を飛び越えたセンスが、中国には溢れているのだ。すっかり、それに魅了されてしまった。


 僕は、人民広場で、暇そうに座り込んで、タバコを吸っていた。基本的に暇を持て余している僕は、無意識に、通りかかる中国人たちを観察し始めていたのだ。

 ふと目に付いたのは、上下サッカーのユニホーム(ブラジル代表ユニホームで、背中に「⑨RONALD」の文字。当然、下は短パン。)で、彼女と手をつないでデートする男。最初は、これからサッカーでもするのか、そう思ったが、足元を見て、唖然としてしまった。革靴なのだ。しかも、靴下はサラリーマンが通勤の時に履くようなものである。

 だが、この程度で、驚いていては、まだ甘い。このスタイルの男が、他に何人も、しかも平然と彼女連れで歩いているではないか。その男の彼女は、一体どう思っているのだろうか。いくら、ワールドカップが終わった直後とは言え、それはないだろう。


 その日から、中国人たちに釘付けになった。上がスーツにネクタイなのに、何故だか、下がジャージ、サンダルの男。上下パジャマ(しかも何年も着ていて、ヨレヨレで色あせている。)にやはり革靴で、バイクをぶっ飛ばす男など、数え切れない。

 全く、期待を裏切らなかったどころか、予想もしなかったようなセンスを、次々と見せつけてくれるのだ。そして、それは男性に限った話だけではなかった。

 夕方になると(風呂上がりだからなのか?)、なぜかパジャマ(しかもネグリジェのような)で出歩く女性。頭に海苔が貼りついたかのような髪型の若い女性。さらに、鼻毛が束になって飛び出している、耳毛がボウボウ、首のホクロから太い毛が生えている若い女性。中国人ウォッチングに励んでいた僕でも、スパッツの股のところに、デカデカと赤い血の跡が付いていた若い女性を見た時は、さすがに笑いを通り越えて、呆れてしまったが。


 長い暗闇の文化大革命(▼注2)から解き放たれ、遂に改革解放の時代を迎えた中国には、多くの西洋文化が流れ込んだ。ファッションに関しても、大きく西洋化し、上海で一番の繁華街である南京路、准海路などを歩いていると、日本と変わらない程、ファッショナブルになった若い人たちを多く見掛ける。

 そして、ファッションと同様に、多くの西洋の音楽も流れ込んで来た。


 僕が、唯一、知っている中国人のミュージシャンがいた。

 10年程前、アジアの映画、音楽などにかぶれていたのだが、偶然、タワーレコードワールドミュージック・コーナーで見掛け、そのアルバム・ジャケットに惹かれて、買ったのだ。

 タイトルは、「一無所有」(俺には何もない。)

 紅い布で目隠しされた、本人の顔がジャケットになっている、そのCDは強烈なインパクトを与えてくれた。

 名前は、崔健(ツイ・ジェン)と言う。(▼注3)


 その崔健によって、多くの若者が触発され、中国には多くのロックバンドが出現する。黒豹(ヘイ・バオ)、唐朝(タン・ダイナスティ)・・・・・・・

 改革開放前は、毛沢東共産党賛歌しか知らなかったという中国人のバンドには、日本のロックバンドが失ってしまった、反体制的な、ロックが根源的に持っていたパワーがみなぎっている。

 そして、さらに重要なのは、日本の多くのバンドが、ただ単に、欧米の模倣の域を脱せずに、日本的なものを捨て切ってしまっているのに対して、中国のバンドは、あくまでも中国独自のロックを目指しているという点である。(あくまで、目指しているというだけで、それが、すべて成功しているかどうかは、また別の問題なのだが。)


 僕は、准海路のCDショップで、ジャケットだけで、適当に選んだカセットを2本買ってみた。カセットならば、ラジカセを持っている旅行者に聞かせてもらえると思ったからである。

 ひとつは、張楚というアーチストの「造飛機的工廠」、そしてもうひとつは、おどろおどろしいジャケットの、面孔というバンドの「火的本能」。2つとも、全く知らないものである。

 宿に戻り、ラジカセを持っていた、同じドミトリーのイギリス人旅行者に頼んで、聴かせてもらうことにした。

 「これ、日本の?」 そのイギリス人が言う。

 「いや違う。中国ロックだよ。」

 「中国にロックがあるの?」

 「もちろん、あるよ。崔健とか、知らない?」

 「えっ?何??」


 張楚の方は、どういうことを歌っているのか、全く分からないが、アコースティックな音楽であった。もうひとつの面孔の方は、もろにへヴィメタルである。よく考えれば、「火的本能」というタイトルにしても、おどろおどろしいジャケットにしても、いかにもヘヴィメタという感じなのに、なぜ気付かなかったのだろう。

 これと言った特徴もないヘヴィメタに、中国語のボーカルが乗る、その音楽が聞こえて来た時、そのイギリス人が、いかにもバカにしたように、笑い出した。

 「ギャハハ!!何これ?」

 実は、僕もそのカセットには、かなりガッカリしていたのだが、なぜか、そのイギリス人のバカにしたような笑い声を聞いていて、少し腹が立ち、こう言ってしまったのだ。

 「笑うんじゃないよ!!」


  毎日のように夢中になって、中国人を観察し続けていた僕だが、このイギリス人のバカにしたような笑い、さらに、ある中国人の一言で、ふと我に返ったのだ。

 「なぜいつも、サンダルを履いているの?」

 いつも宿のロビーで会うと、無愛想ながらも挨拶してくれる従業員の小姐(お嬢さん)は、「何で、(お金を持っている?)日本人なのに、旅行者たち(バックパッカーたちのこと?)は、みんな汚らしい(格好悪い?)のか。」と言っているのだ。

 僕は、裸の王様の気分であった。「王様は裸だ!」と偉そうに指摘した、その子供も実は裸だったのだ。そんな僕が、中国人たちを笑えるだろうか。


 以前、日本でテレビを見ていて、こんなやりとりがあった。

 確か、日本の古着が、中国で出回っているのを取材した番組だったと思うが、日本の作業着(しかも、かなり古いタイプの)を着ている中国人男性がいたのだ。彼は言った。

 「これ最高!この日本製、とっても気に入ってるんだ。着心地も最高だよ!(胸の刺繍を指差して)、これがブランド名なんだろうね。」 胸には、「○×建設」と書いてあった。


 これが笑えるだろうか。日本人だって、きっと欧米人に笑われているに違いない。そう考えると、急にバカバカしくなり、中国人ウォッチングを止めてしまったのであった。



 ▼注2「文化大革命」 参考文献「?」

 1966年、毛沢東は、国家主席劉少奇、登小平らが、経済の立て直しのために資本主義的メカニズムを一部導入したことに対し、革命精神が消え、資本主義的風潮が蔓延すると考え、紅衛兵文化大革命の火付け役となった、学生を中心とする大衆組織。)を利用して、彼らを拘束し、権威を剥奪した。

 この毛沢東が発動した政治、社会運動を「文化大革命」(正式には、「無産階級(プロレタリア)文化大革命」)、略して、「文革」と言う。

 以後10年間、善悪は混同され、社会は動揺し、築かれたばかりの法制は破壊された。民主を求める人民の声は、四人組(毛沢東夫人である江青張春橋王洪文姚文元の4人からなる、中国共産党中央の派閥。)により弾圧され、さらに学校や行政から伝統文化までを激しく攻撃し、これにより、中国の民主、法制などが大きく後退することになる。

 1976年、毛沢東が亡くなると、江青ら、文革の急進指導者は逮捕され、1981年には、党として、文革の誤りを正式に認めることになる。


 ▼注3「崔健」 参考文献「崔健 激動中国のスーパースター」岩波書店

 中国ロックの先駆者として、幅広くカリスマ的な人気を集める彼は、潰れた声で、当時、最も激しかった民主化運動支援の強烈なメッセージソングを歌い、若者たちから、絶大に支持され始めた。1987年に起こった天安門事件では、広場で学生たちは、崔健の「一無所有」を歌い、それにより、ロックのライブは規制され、政府から弾圧を受けることになる。

 反体制ロッカーと言われる彼だが、中国の伝統音楽をベースにするなど、音楽面でも高く評価され、当時のワールドミュージック・ブームにも乗って、一部の日本の音楽雑誌でも、かなり話題になっていた。(1994年には、来日ライブも行っている。) そのため、私もCDショップで目にすることになったのだ。


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