西安(中国編3)


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 「中国人(特に漢民族)はムカつくことが多いと思うよ。多分、お前はキレるんじゃないか。」

 旅に出る前に、友人たちから、散々そう言われた。


 まず旅行者が中国で受ける第一の洗礼が、数々の旅行記でも書かれているように、「没有!(ありません。)」の連発である。これは、インドの「NO PLOBLEM!」と並んで、旅行者が真っ先に覚える言葉だろう。


 上海からの夜行列車で、早朝に西安駅に着いた時、すぐに南へ、城壁で囲まれたエリアを抜けて、明徳門(南門)近くにある宿へ行き、「部屋は空いてますか?」と尋ねると、「没有!」。

 予想通り、返ってくるのは、その言葉であったが、本当は空いているのではないか。真相は分からないが、食事をしながら面倒臭そうに接客する小姐を見ていると、どうも、面倒臭いから、そう言っているような気がしてならなかった。

 このように食事をしながら、接客するのはザラだし、「食事中だから、後にしてくれ。」とも言う。彼(彼女)たちにとっては、大切なのは決して、「お客様」などではなく、「自分の食事」なのだ。

 これでも、最近は西洋化の影響からか、随分とサービス精神も出て来ているとは言うが、それでも腹が立つことは、何度かあった。

 小さな店で、ジュースを買おうとしたら、店のオバさんは、外で隣の店のオバさんと立ち話をしていた。「すみません。」と呼ぶと、何と、オバさんは、こう言ったのだ。

 「今、話が盛り上がってるんだから、呼ばないでよ!」 それも、思いっきり、嫌そうな顔で。

 そのような無愛想さは、社会主義の下で、サービスという概念が希薄であったのが、原因なのかと思っていたが、どうやらそれだけでは、なさそうなのだ。

 

 列車の中でも、頭がクラクラしそうなことの連続である。列車の窓から、平気で空きビンを投げ捨てる男。おかげで線路には、割れたビンの破片が散乱している。カーテンに鼻クソをなすり付ける男。床にタンを吐く男。ひとりではなく、大多数がそうなのだ。田舎へ行けば、行く程、その割合は高く、中には、列車の通路でウンコをしている男を見た旅行者もいるらしい。

 僕もこんなことがあった。4人掛けの席に座っていたのだが、トイレに行って、戻って来たら、違う人が僕の席に座っている。

 「そこは、オレの席だよ。」

 「ああ、悪い、悪い。」

 その男は、退くのかと思ったら、何と詰めるだけなのだ。

 ムカムカしながらも、呆れて隙間に座り、足を引っ込めると、その時、足元で、「ギャッ!」という声が。何と、知らない間に、座席の下で人が寝ていたのだ。


 そして中国のトイレ。行ったことがない人でも、色々と噂は耳にしているように、どの旅行記でも書かれており、敢えて、ここで書く必要もないのだが、やはり実際に体験すると、書かずにはいられない。

 仕切りがないと、用を足している時、他人と目が合うのが嫌だ。横向きなら問題ないが、まれに向かい合っているのが、ある。これは勘弁してほしい。気まずいので、当然、目を反らし、目が合ってしまったら、もう苦笑するしかない。(だが、当然のように、中国人の方は、全く気にしていない。)

 これも嫌だ。流しそうめん式のトイレ。少し傾斜になっているところに便器(のようなスペース)が並んでいて、上からウンコが流れて来る。一番下にいる人は、悲惨である。これはもう、「流しそうめん」ならぬ「流しウンコ」。勘弁してほしい。


 そして、中国のトイレは必ず詰まっている。そのため、便器(というか、唯の穴)は、何日(何十日?)も前から、ウンコが積み重ねられ、テンコ盛りになっている。ウンコの山が大き過ぎて、しゃがむと尻に付いてしまうので、常にヒンズースクワットの状態を保たなければならない。

 みんな、そのウンコ山を避けて、横に横にズレて、用を足すものだから、ウンコ山の周りもウンコだらけ。最後には、手洗い場の方で、ウンコする者もいて、もう訳が分からない。


 上海から西安までは、列車で1泊2日。約24時間の長旅は、思った以上に快適であった。

 列車の座席には、主に4種類あり、最も高いものから、軟臥(軟らかい寝台)、硬臥(硬い寝台)、軟座(軟らかい座席)、硬座(硬い座席)。(さらに、無座(席無し)というのもあるらしい。)

 長距離移動の場合、一番人気があるのが、僕が乗った硬臥である。クーラーも付いており(列車によるらしいが)、非常に快適なのだが、寝台が三段になっているため、ひとつのベッドの高さが非常に低く、頭を上げるのも難しい。さらに、僕は一番上であったため、クーラーが直に当たり、始めは涼しいと思ったのだが、徐々に寒くなり、寝袋や備え付けの布団を頭から被っていないと、とても寝ていられないのが、唯一の難点であった。

 その硬臥のチケットが、なかなか取れないのだ。(上海は、始発駅なので、比較的すぐに取れた。)


 この日、西安から一気にウイグル自治区トルファン(吐魯番)まで行くためのチケットを探しに走りまわった。まず、街の中国国際旅行社を始め、何軒か旅行社をあたったが、答えは、やはり・・・・・

「没有!」

 かなり先なら、予約出来るそうだが、先を急ぐ旅ではないとは言え、そんなには待てない。そこの旅行社の人が言うには、前日に駅でチケットが発売されるとのことであった。実は、それは知っていたのだが、駅で買うのは到底、無理だろうと、先に旅行社へ行ったのだ。しかし仕方が無い。

 駅でチャレンジするため、その足で窓口へ訪ねたところ、外国人窓口は別にあり、午後2時から販売すると言う。


 長蛇の列を予測して、1時間前に、言われた通りの窓口へ行くと、なぜか誰もいない。本当にここでいいのだろうかと思いながら、待っていると、ポツリポツリと欧米人が現れた。

 日本人は、中国語を理解出来なくても、漢字を知っているため、先程のメニューや、バスなどの行き先表示を理解したり、筆談などをすることが出来る。ところが、欧米人たちは、当然、漢字が分からないため、日本人旅行者に、何て書いてあるのか、聞いてくるのだ。

 日本人は、そもそも英語が得意ではないため、言葉の通じない旅というものに、比較的、慣れているが、欧米人は英語が通じないだけで、すぐ混乱してしまう。ましてや漢字の表示だけしかないのだ。

 もちろん、それだけではないが、そのあたりにも、欧米人が中国を嫌う理由があるようだ。しかし、そのような欧米人(特にアメリカ人)の、(そもそも異文化と出会うために)旅に来ているにも関わらず、自分たちの言葉、文化、食などを押し通そうとする、その態度には、「欧米が世界の中心だ。」と言わんばかりのエゴが見え隠れする。


 そう思いながらも、親切に漢字を教えているうちに、2時になった。さっそく窓口へ行くと・・・・・・

 「没有!」

 やはり、返ってくるのは、その言葉であった。

 「じゃあ、あさってのチケットは?」

 「それは、明日来てくれ。」

 「どうしても、明日のチケットが欲しいんだ!」

 「没有。」

 「何でだよ!」

 しばらく懸命に問答を続けていたが、後ろに並んでいた欧米人が、「早くしろ」と言わんばかりに、割り込んで来たため、仕方なく、一旦引き下がり、どうしようかと考えていた、その時、後ろから天の助けが・・・・・。日本人留学生である。

 「どうしたんですか?」 その女性は話し掛けて来た。

 「硬臥のチケットが没有なんです。」

 すると、彼女は、「じゃあ、私が、もう1度、聞いてあげましょう。」と窓口へ向かってくれた。そして、いとも簡単に、チケットを入手してしまったのだ。


 なぜ、僕が言ったら、「没有」で、彼女が言ったら、「有」なのだ。紙に書いて、渡したので、間違えてはいないはずだ。謎である。海外では、不条理なことの連続であり、それをいちいち気にしていては、やって行けないが、どうしても納得出来ずに、彼女に聞いてみた。すると、答えは、こうであった。


 「こんなことは、日常茶飯事で、私にもよく分かりません。そういう国なんです。」