パスー(パキスタン編2)


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 宿に置いてある情報ノートを参考に、パスー氷河、バトゥラ氷河を見に、ユンズバレー・トレッキングへ行ってみることにした。

 但し、フンザのトレッキングは、ネパールなどのように、現地の人が生活しているような道などではなく、ただの瓦礫の山なので、ルートもはっきりしていない。もし遭難などしたら、おそらく登山経験もろくにない僕たちには、どうすることも出来ないであろう。そのために宿のパキスタン人に一緒に行ってもらうことにした。


 彼は、子供の頃から慣れ親しんだコースなので、いきなり情報ノートに書いてあるルートとは違うコースを行き始めた。

 「おい、ルートが違うぞ。」 戸惑う僕たちを、意にも介さず、彼はハイペースに、瓦礫の山、崖っぷちを上がっていく。

 「こっちが近道なんだ。気にするな。」

 何て強引なのだ。一生懸命付いて行ったが、目の前にそびえ立つ絶壁を前にして、ついに立ち止まってしまった。


 ここまで来て、気が付いた。これはれっきとした登山である。にも関わらず、僕たちの装備と言ったら、水も小さなペットボトルのみ、急いで出てきたので昼食さえも持ってくるのを忘れていた。完全になめていたのだ。

 「引き返した方がいいのでは。」と、一瞬考えたが、結局大学生2人の意欲に押される形で、「もう行くしかないだろう。」という結論に達した。滑るスニーカーで、何かに取り付かれたように登り続けた。

 何分登っただろうか。ふと我に返ると、身動きが出来なくなっていた。右にも左にも行きことが出来ない。上にも下にも、もはや次の一歩をどこへ踏み出しても滑り落ちてしまいそうである。下を見下ろすと、頭がクラクラしそうな光景が。「人間て、落ちると、ゴムまりのように跳ねるんだよね。」、登山家の言葉が頭をよぎる。

 「どうすりゃ、いいんだよ~!」 叫ぶ僕に向かって、既に上まで登っているパキスタン人が脳天気に言う。

 「頑張れ!落ちたら死ぬぞ!」

 「ばかやろう、ふざけんな!こんなとこ、連れて来やがって!死ぬなんて言うな!」

 ふと横を見ると、大学生のひとりが、同じように壁に張り付いているではないか。その彼が言う。

 「もしオレが落ちて、死んだら、家の引き出しに入ってるエロ本、処分しといて下さい。」

 「こんな時に、アホなこと言うな~!」

 石は強い日差しで焼けるように熱いが、手を離す訳には行かない。正に絶対絶命とは、このことか。

 さすがに深刻な状況に気付いたのか、ようやく上にいるパキスタン人が指示を出し始めた。

 「あの岩を掴め!そこに足を掛けろ!」 

 「えっ?何?どこだよ~!」

 「そこだ!」 

 「うわあ~!うわあ~!落ちる~!」 声にならない叫びを上げながら、1歩踏み出した。

 何て無力なんだ。腹を立てながらも、彼の言うことを聞く以外に、何も出来ないのだ。もしかしたら本当に死ぬかもしれないというのに。

 ひとつ足を掛ける度に、そこが崩れる場面が頭をよぎる。今まで一度も発揮したことがないような集中力で、崖を登る。

 「次はどこだ~!」

 「そこだ!」

 「こ、ここかあ~!」 パキスタン人を信じ、登り続けた。

 一体それから、どのくらい登っただろうか。登り切った時、全神経を使い果たしたように、その場にへたり込んだ。

 「よく、頑張ったなあ。」 パキスタン人が言う。

 「ふざけんな、頑張ったじゃない。こんなとこに連れて来やがって!」 そう言いかけたが、もはや、その気力もなく、とりあえずこう言っておいた。

 「ありがとう。」


 これでまだ、トレッキングは序盤であるが、既に疲れ切っていた。崖を登りきり、ようやく、1つ目の氷河であるパスー氷河が見え始めたが、ただ惰性で歩いているかのように、しばらく平坦なユンズ・バレーをトボトボと歩いた。

 午前中の疲れと、昼になり容赦なく、照り付ける日差しが、予想以上に体力を消耗させる。昼食を持っていないバカな僕たちは、仕方なく、少ない水を少しづつ飲み続ける。相変わらずパキスタン人は、ハイ・ペースで進み、やっとの思いで付いて行く。

それから、1時間近く歩いただろうか。ついにペットボトルの水が底をついた時、小屋とともに川が見えた。「水だ!」 僕たちは、疲れも忘れ、川に向かって走り、その水をがぶ飲みした。澄んできれいな水である。よく冷えていてうまい。それもそのはずで、既に見えていたもう1つの氷河、バトゥラ氷河から流れ出た水である。

 あと少しだ。英気を養って、復活した僕たちは、パキスタン人にも負けないペースで、再び歩き始めた。さらに1時間ほど歩いただろうか、ようやくKKHが見えた時、朝に宿を出てから、既に10時間が経っていた。


 宿に戻り、全く計画性の無い自分を深く反省した僕は、その夜、ユーラシア大陸の最西端であるポルトガル・ロカ岬まで、すべて陸路で横断することを決心した。

 ベッドに横になって、目を閉じると、あの崖っぷちにしがみ付いていた、あの場面が何度も何度も浮かぶ。そのため、深夜までずっと寝付けずにいるのだった。


 トレッキングをした翌日、時間に余裕の無い大学生たちは、慌しくカリマバードに向けて去って行った。僕ひとりがパスーに残り、彼ら大学生とシェアしていた部屋を出て、食堂も兼ねている居間のような部屋で寝袋に包まって、雑魚寝をして泊まっていた。それが一番安いのだ。

 ある日、僕は、のんびりと安宿グリーンランド・ゲストハウスの中庭で手紙を書いていた。

 「誰に手紙を書いているんだ?日本の彼女か?」 同じく中庭で手紙を書いている自転車旅行中のイギリス人が話し掛けてきた。

 「違うよ。友達だよ。」

 風が強い日。庭に干してある洗濯物が、今にも飛びそうに舞っている。風が宿のドアを今にも壊しそうに激しく揺らす、それ以外に何の音も聞こえない。静かなで贅沢な午後。仕事をしていた頃、求めていたのは、こんなことかもしれない。手紙を書く手を止め、ただその山々を見つめていた。

 「山はねえ、時間によって、表情が変わるんだよ。」 イギリス人が言う。

 彼の言う通り、四方にそびえ立つ7000m級の山々は、日が西に傾くに連れ、次第にコントラストがはっきりし始めた。ただ黙って、その移り変わりを見つめ続けた。


 真っ赤な夕焼けが見え始めた頃、トレッキングに行っていたオランダ人教師グループのデニスたちが帰ってきた。カラクリ湖で約束した通り、ここパスーで昨日再会していたのだ。

思えば彼らと会うのは、なぜかいつも慌しい状況の時ばかりであった。初めて会ったのが、中国のウルムチカシュガル間、50時間バスの中、2度目はカシュガルで、うだる暑さの中、広いバザールで道に迷っていた時、そしてフンジュラブ峠越えのバスの中。ようやくゆっくり話せる機会が出来たのだ。

夜、僕やイギリス人たちの寝床も兼ねている食堂で、みんなでフンザ・メニューと呼ばれる宿の夕食を食べながら、サッカーの話、そして旅の話を語り合った。


 話が一段落して、タバコでも吸おうと、庭へ出た。ふと空を見上げると、そこには日本でなど決して見ることの出来ない満天の星空が。タバコに火を付けるのも忘れ、呆然と空を見上げ、こう思った。

 「しばらく、この村にいようかな。」