ギルギット(パキスタン編4)


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 フンザからパキスタン北部へ上る拠点になる町、ギルギットへ下りてきた僕は、宿を探していた。

 ギルギットには、ツーリスト・コテージという有名な日本旅行者の溜まり場宿があるが、聞いた話によると、日本のマンガがたくさん置いてあり、旅行者は外に出ず、部屋にこもって、昼間からそのマンガを読み漁っているという。

 中でもこの辺りが舞台となっている「風の谷のナウシカ」は、予約待ちでないと読めないほどの人気らしいのだ。

 その話を聞いて、この宿だけには行かないでおこう、そう思い、他の宿を探していたのだ。バックパックを背負ったまま、バザールを一周したが、良い宿が見つからず、結局バスを降りて、一番最初に見つけた、バスターミナルの正面にある安宿、マディナ・ゲストハウスに泊まることにした。


 ギルギットにやって来て、数日経ったある日、街で偶然に中国・トルファン野戦病院のようなドミトリーで一緒だった大学生たちと再会し、翌日から、泊まっていたマディナ・ゲストハウスで、部屋をシェアし合うことになった。彼らは、ツーリスト・コテージに泊まっていたが、噂通りにマンガを読んでばかりの 日本人旅行者たちに嫌気が差し、他の宿を探していたのだ。

 翌朝、前日に宿の人と話を付けていた通りに、別の部屋に移るべく、その部屋に行ってみると、何故か鍵が掛かっている。どうやら先客がいるようだ。

 どういうことなのか、宿の人に尋ねると、昨日の深夜、突然2人組の日本人がやって来て、どうしても泊めてくれと、半ば強引に泊まったと言うのだ。ならば、僕たちと部屋をシェアし合うように話を付けよう、そう思い、宿の人に彼らを起こしてもらうように頼んだ。


 すると突然、中庭に面している大きな窓が開き、威勢良く異形の男が現れた。

 「ハロー!ハリー・クリシュナ!」

 30代半ばぐらいのその男は、上半身は裸で、インドの腰巻ルンギーだけを身にまとった姿で、そう名乗ると、僕たちの話を聞きもせずに、インドで買ったような怪しい模様の布を中庭に敷くと、どっかりと座りこんだ。

 「とりあえず話をしよう。」

 男はそう言うと、今度は持っていたホラ貝を大音響で吹き、太いパイプにたっぷりとチャラス(大麻の樹脂を固めたもの)を詰めると、豪快に吸い始めたのだ。何だか分からないまま、中庭で車座に座らされていた僕たちは、唖然とそれを眺める。

 「さあ、君たちも!」

 中庭に集まっていた各国の旅行者たちは、怪訝そうな顔で見ているが、男は全く気にもしていない。チャラスが、何週しただろうか。その間、男は、自分の素性、旅の工程などを一方的に喋り続けた。

 それによると、彼は、フリーランスのカメラマンで、日本の雑誌でも特集されたことがあるらしい。(実際にその雑誌を見せてもらった。) インドからやって来て、これから北上して、中国に入り、チベットカイラスへ向かうという。彼に弟子のように、一緒に付いて周っている若い女性は、「ラダ」と名乗った。


 彼はさらに話を続ける。ネパールの山奥で修行していたこと(そこの師匠にハリー・クリシュナという名前を付けてもらったらしい。)など、一体どこまで本当なのか、よく分からないが、すべて本当だと思わせるだけの妙な迫力が、彼にはある。

 話をしていたかと思うと、彼は何の前触れも無く、太鼓を叩き、インドの歌を歌い始めた。ラダとはもりながら歌う、そのインドの雨乞いの歌は素晴らしかった。僕は、今でもその歌を口ずさむことが出来る。

歌が終わったところで、僕たちは、強引に話を打ち切り、彼らとシェアすることになった部屋に戻ることにした。彼の話は面白いが、ずっと聞いている訳にはいかない。

 部屋に戻ると、彼も同じく部屋に戻り、再び大音響でホラ貝を吹くと、ひとりでチャラスを吸い始めた。どうやらホラ貝を吹くのが、その合図の儀式らしい。


 その時、突然に隣の部屋にいたイギリス人のオヤジが、大声を挙げて、部屋に飛び込んで来た。

 「うるせえんだよ。朝っぱらから。でかい音、立てやがって!」

 「何だ、お前は!文句あるのか?」

 今にも掴み掛からんとするイギリス人に、クリシュナも大声で言い返す。しばらく怒鳴り合いが続いた。その大声が聞こえたのか、まもなく宿のパキスタン人がやって来て、間に入り、一応ケンカは収まった。

 しかし、しばらくすると、今度はまた違う部屋のカナダ人が、血相を変えて、飛び込んで来た。またケンカか?呆れる僕たちをよそに、カナダ人はクリシュナに詰め寄り、こう言った。

 「こ、これが、噂に聞いたフンザのチャラスか!素晴らしい。ぜひ譲って欲しい。」

 2人はすっかり意気投合し、チャラス談義を始めたのだ。その隙に外に出ることにした。

 夕方までバザールなどを散歩し、部屋に戻ると、一緒に部屋をシェアしている大学生のうちのひとり(女の子)が、ふて腐れてタバコを吹かしていた。

 「どうかしたの?」と聞くと・・

 「あのわがままオヤジ(クリシュナ)、凄いムカつく!自分の話しばっか、しやがって。」

 「確かにあの人、人の話、全然聞かないね。話は面白いんだけどねえ。」

 中庭では旅行者たちが集まって、食事の準備をしていた。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、日本、韓国、そしてパキスタン、多種多様な民族が集い、見ようによっては一種異様な空間かもしれないが、ごく自然に集まっただけなのだ。誰からともなく、ギターを弾き、太鼓を叩き、夕食が出来るのも待ちきれずに、騒ぎ始めた。

 その時、再びあの神経質なイギリス人が、怒りをあらわに、部屋から飛び出してきた。

 「うるさい。静かにしてくれ!眠れやしない。」

 眠れやしない、と言われても、まだ午後6時である。結局、宿のパキスタン人が、そのイギリス人をなだめ、僕たちが裏庭に移るという事で納得してもらった。

 裏庭に移ってしばらくすると、いつの間にか日は沈み、キャンプ・ファイアーの火を囲みながら、再び演奏が始まった。最初にクリシュナが例のインドの歌を歌い始めた。今度はクリシュナからではなく、宿のパキスタン人からチャラスが周って来る。

 パキスタン人が地元フンザに古くから伝わる伝統的な歌を歌い、アメリカ人が60年代のヒッピーさながらに、チャラスを吸いながら、ボブ・ディランの「I SHALL BE RELEASED」を歌う。その間、チャラスがキャンプ・ファイアーの火の周りを何周も何周も回っていた。


 パーティーが終わり、部屋に戻ると、クリシュナは再び懲りずに大音響でホラ貝を吹くと、やはりチャラスを吸い始めた。そしてまたひとりで話し始めるのだ。大学生の女の子は、後ろを向いてふて寝をしている。構わず話を続けるクリシュナ。

 長い旅に出て、ドミトリーなどに泊まっている以上、多かれ少なかれ、日本の社会からは、はみ出た存在なのだろうが、そのはみ出し者たちからもはみ出てしまう個性。長期旅行者にはありがちなタイプで、特にインドなどに多い、と言ってしまえば、それまでだが、そんな彼に妙な魅力を感じずには居られなかった。


 クリシュナの話に半分耳を傾けながら、インドの雨乞いの歌を、僕も口ずさんでみた。