バム(イラン編2)


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 アルゲ・バム(▼注14)を見に行き、感動冷めやらぬまま宿に戻って来た僕に、ロビーで情報ノートを見ていた日本人の大学生が話し掛けて来た。それがこの後、1ヶ月程行動を共にすることになるY君である。

 日本人と会うのは一体いつ以来だろうか? パキスタン・ラホールを出て以来か? 久しぶりの日本語ということで喋りまくり、すっかり意気投合してしまった。


 バムは小さな町なので、泊まる安宿が2つに限定される。アルゲ・バムに近いということで、このアリ・アミール・ゲストハウス(▼注14)に来た訳だが、みんな同じ事を考えているのか、ドミトリーには日本人が5人も泊まっていた。


 ここに泊まるすべての日本人旅行者が、ぜひ見るようにと勧めるものがあった。それは、この宿に置いてある情報ノートである。この旅で数多くの情報ノートを見たが、間違いなく、この宿のものがNO.1バカ情報ノートであると、勝手に認定したいと思う。


 さっそく、ロビーへ行き、ノートをめくってみた。

 まず「英語の喋れない日本人は旅する資格はない。」 ある者が書く。それに対して、反論が書かれる。

 最初のうちは、このようないくつかのテーマに乗っ取って、ノート上で討論を繰り広げていたようだが、ある男の登場によって、ノートは一変する。

 聞き覚えのある名前。パキスタン北部フンザのキサール・インの情報ノートでも見た「あざらし庵」なる人物である。彼が意見を書くと、それに対して、矢印を付けられ、読み切れない程の悪口が書かれる。

 「この変態オヤジ。女風呂覗きやがって!」「お前は黙ってろ!エロ・オヤジ!」「説教するんじゃねえ!お前は「昴」でも歌ってろ!(彼は谷村新司に似ているらしい。)」 しかし、なぜ彼はここまで嫌われているのだろうか。

 そのページを境に、ノートはただの悪口大会と化してしまう。

 「お前ら、みんなバカだろ!」「そういうこと書くお前こそ、バカだ!」 

 さらに、「みんなこんなこと書くの、みっともないから止めようよ。」と書いた者にさえ、「黙ってろ!この偽善者!」と書かれる始末。そして、それらすべてのページを冷静に赤ペンで添削し、細かい間違いなどを指摘する者までいる。

 最後に女性の字で、こう書かれ、悪口大会は終わっていた。

 「バカ日本人ベスト3・・・あざらし庵、赤ペン添削野郎、インポ野郎。(「ひとりで長期旅行する女はブスばかりだ。」と書き、他の女性旅行者から「このインポ野郎!」と罵られた男。)」

 噂に聞いただけのことはある。ここに書いている者すべてがバカでる。そして面白がって読んでいるこの僕も。

 さらにページをめくると、一番新しいページにこう書かれていた。

 「ベルセポリスよりミニスカポリス!」

 最後まで期待を裏切らないバカ・ノートなのであった。


 パキスタンからイランに入って、一番変わったことは、水を飲めるようになったことだろうか。街の至る所や宿などに、よく冷えた飲料水のタンクが置いてあり、ただで自由に飲めるのだ。この水は、よく殺菌されており、パキスタンなどでは、下痢をしていたお腹の弱い僕でも安心して飲むことが出来た。


 逆に食事に関しては、中国どころか、ほとんどカレーしかないパキスタンと比較してもバラエティーに乏しく、外食産業は無いに等しい。物価の安いアジアでは、ほとんど外食に頼っていた僕も、これには困ってしまった。

 あるのは、主に昼食に利用するサンドイッチ屋(ガラスケースに何種類かの肉が並んでおり、その場で焼いて、パンにはさんでくれる。中には、脳みそなんてものもあるが、これが見た目の気持ち悪さとは裏腹に、クリーミーで以外と美味しい。)と、夕食に利用する安食堂のみ。


 そして食堂のメニューは、ただ1つ、イランで最もポピュラーなメニューであるチェロケバブ。山盛りのバターライスにケバブが2本と焼きトマト、これにジュースが付いてセットになっているものしかない。これで約3500リアル(≒100円)。とにかく腹は膨れる。

 だからと言って、イラン料理自体にバリエーションが少ない訳ではなく、おそらく家庭料理は、バリエーションも豊富なのだろうが、外食はこのように選択の余地も無いため、イランにいる間中、飽きもせず、毎日のようにそのサンドイッチとチェロケバブを食べ続けた。

 そのセットに付いてくるジュースは、必ず「ザムザム」というメーカーのコーラやオレンジであった。泊まっていたホテル・アリアのすぐ近くにある安食堂のオヤジに聞いてみた。

 「イラン人は、アメリカが嫌いな割には、コーラなんか飲むんですねえ。」

 「何を言うんだ。コーラの元祖はイランだぞ。コカコーラは、ザムザムの真似だ!」

 「えっ???」

 彼は知っていて、わざと言っているのだろうか、それとも本当にそう思っているのだろうか。


 バムからケルマン経由で8時間、Y君と一旦別れ、ゾロアスター教(▼注15)の聖地、ヤズドへひとりでやって来た僕は、翌日、タクシーを交渉して安く借りきり、郊外にあるそのゾロアスター教徒が、50年程前まで鳥葬を行っていたという「沈黙の塔」へ行ってみることにした。


 あらかじめ予備知識を持っていたせいもあるからか、丘の上にそびえ立つ2本の石造りの塔は、特有のおどろおどろしいオーラを発しているようにも見えた。

 その小高い丘を一気に駆け上がった。向かいに併設されている、こちらは現在も使われているゾロアスター教の真新しい墓地が見え、より一層その雰囲気を助長しているようだ。

 頂上まで行き、その沈黙の塔の裏側にある裂け目から、よじ登り、中へ入ってみた。わずか50年前まで、実際に鳥葬が行われていたのだ。きっと人骨でもあるのでないか。そう思い、穴の中を覗き込んだ。

 しかし、そこにあったのは、誰かが捨てたザムザム・コーラのビンであった。



▼注14「アルゲ・バムとアリ・アミール・ゲストハウス」 参考文献「?」

 2003年12月、イラン南東部の街バムで起きたマグニチュード6.5の大地震で、バム市内を中心として10kmの範囲が被害を受け、旧市街では80-100%、新市街では60%の建物が倒壊し、約3万人が亡くなった。さらに有名な観光地である「アルゲ・バム」はほぼ全壊してしまった。

 アルゲ・バムとは、約2500年前、サファヴィー朝時代の街並みが城を中心にそのまま残っているという非常に珍しいところで、歴史的価値は低いが、見た目のインパクトはペルセポリスなどより圧倒的に上。というのも、1722年アフガン族が攻めてきた時に、この城砦都市ごと放棄され、ほとんどそのまま今に至っていると言う。

 最近ではかなり観光化され、何と元々は無かったようなものまで増築されていたとも聞くが、それでもあまりに見事に残っていたため、「死者の街」と呼ばれ、あの宮崎駿の「天空の城ラピュタ」のモデルになったという話もあるらしい。

 数日間泊まっていた旧市街にある安宿、アル・アミール・ゲストハウスには、中学生ぐらいのサッカー少年がいた。

 父親にいつも「勉強しろ!」と怒られていたその少年、旅の最中に日本から送ってもらった荷物に入っていたサッカー雑誌をあげると、お礼に、丁寧にホメイニ師の絵を書いてくれた。今でも、その絵を大切に持っている。(参照

 彼は無事なのだろうか?旅行情報に詳しい友人たちや、旅仲間に聞いたが、そこまではよく分からない。どなたかわかる方がいらっしゃいましたら、教えてください。


▼注15「ゾロアスター教」 参考文献「?」

 古代ペルシャに生まれ、約3000年の歴史を持つという、正に世界最古の宗教の草分け的ルーツであり、ユダヤ教キリスト教イスラム教、仏教など地球上すべての宗教に大きな影響を与え(特にユダヤ教との関連で、多くの宗教学者が、このゾロアスター教に注目している。)、あらゆるオカルト思想の潜在的ルーツとなっていると言う。

 ゾロアスター教によれば、目に見える物質世界であるところのゲーティーグ界と、目には見えないが、確かに存在している霊的な世界であるところのメーノーグ界に分かれている。私たちが、ごく日常的に遭遇する出来事は、すべてこのメーノーグ界の反映であるらしい。

 その両方の世界において、宇宙の善なる神アフラ・マズダと邪悪なる神アンラ・マンユが闘いを繰り広げているが、やがてこの世に終末がやって来て、善なる神アフラ・マズダは、善良なる軍隊を率いて、邪悪なる神アンラ・マンユの軍隊を、最終戦争(ハルマゲドン)において、撃滅して勝利する。

 そして悪が滅び、神の王国・善なるユートピアが建設され、アフラ・マズダを信じる者たちとともに、幸福な生活をおくるとされている。