テヘラン(イラン編4)


大きな地図で見る

f:id:matatabido:20070525020949j:image


 パキスタン・ラワールピンディーの安宿ポピュラー・インや、国境、大使館などで、日本人大学生の行方不明捜索のポスターを何度も見掛けた。不明者の写真と母親の悲痛なメッセージが何とも痛々しく、思わず、ぞっとしてしまった。


 この時期、イランとアフガニスタンが一触即発状態にあり、ただでさえ危ないと言われるアフガニスタンとの国境地帯が、さらに緊張を増していた。

 アフガニスタンは事実上、無政府状態であり、イスラム原理主義武装勢力であるタリバンが、軍事政権を握っている。バムに滞在していた時、タリバンは、アフガニスタン国内において、北部マザリシャリフを制圧し、その際に、イラン領事館へ乱入し、イラン外交官ら9人を殺害した。

 アフガニスタン周辺諸国で唯一、シーア派であるイランは、このタリバンの行為を激しく批判し、アフガニスタン国境にあるマシュハドに軍隊を集め、戦闘体制に入っていた。

 しかし、かつてのイスラム革命以降、国際舞台から遠ざかり、革新派であるハタミ大統領就任以降、急速に西側諸国に接近して経済も安定し、ようやく国際舞台に復帰しつつあるイランにおいて、周辺のスンニー派諸国を敵に回すことは、再び国際舞台から遠ざかることを意味してしまう。

 そのため、実際に戦争になることは、おそらく無いとは思うが、世界の警察気取りのアメリカは、世界の平和を守るためという、押し付けがましい勝手な論理で、執拗にイランをバックアップし、タリバン潰しのために戦争を仕掛けさせようとしていた。(国民感情としては、一般的に思われているように、イランは反米であるが、政治的には、親米な側面もあるのだ。)

 スンニー派のトルコは静観する構えを見せているが、その他のスンニー派諸国は、タリバン支持の構えを見せている。中でもパキスタンは、その態度を明確にしていた。


 ちょうど僕がパキスタンにいた時、アメリカが、ケニアタンザニアアメリカ大使館同時爆破事件で主犯とされていたビンラディンをかくまっているとして、アフガニスタンタリバン勢力に対し、報復として、巡航ミサイルを打ち込み、逆にそれに怒った同じスンニー派パキスタンで、アメリカ人旅行者が殺害されるという事件が起きた。

 (この時初めて、ビンラディンという名前を知った。この3年後に、9・11事件が起きた。)


 パキスタン・ラホールでは、タリバン支持のグループがステッカーを売っているのを見掛けた。そのステッカーには、タリバンの戦闘機や戦車がインド、アメリカ、イギリス、イスラエルにミサイルを打ち込んでいるイラストのものなどがあり、思わず全種類のステッカーを買ってしまった。

 そのような物を面白がって買うのは、反感を買うかとも心配したが、暗くて日本人と分からなかったのか、戦闘服を着て、いかにも物々しい雰囲気を漂わせる、そのグループのひとりに握手を求められて、戸惑ってしまった。


 そのような状態にも関わらず、アフガニスタンへ入国する旅行者は後を絶たない。イスファハンのドミトリーで一緒だったKと言う大学生も、アフガニスタンへ行って来たと言う。彼によると、危険なのは首都カブール周辺だけで、パキスタン・クエッタや北のトルクメニスタンからなら、比較的入りやすいとのことであるが、いずれにしても危険ではあるだろう。

 外務省から渡航禁止勧告が出ているような国に行き、それを自慢気に情報ノートに書きまくったり、またそれを読んで、アフガニスタンへ行ったことを、英雄視するかのように見る旅行者たちには、疑問を感じずには居られない。


 アフガニスタンへ入国するには、もちろんヴィザが必要であるが、ややこしいのは、インドやイランなどで発給されるヴィザは、あくまでアフガニスタン政府発行であり、実質タリバンが政権を握っているアフガニスタンでは効力はないため、入国は出来ないらしい。

 しかし、そのタリバン・ヴィザがどこで取れるのかが、よく分からないのだ。(一説によると、国境で金を払い、タリバン・ヴィザにチェンジするらしい。)

 入国する場所としては、先の大学生が入ったパキスタン・クエッタから以外に、パキスタンペシャワールから、パキスタンの法律が通用しないトライバル・エリア(部族地区)であるハイバル峠を越えて、アフガニスタンの首都カブールへ向かうコースがある。

 ここは、かつてのヒッピー・ロードとして有名であるが、今は無法地帯と化しており、まず無事に帰って来るのは不可能であろう。本当かどうか知らないが、8人入国して5人しか帰って来なかったなどという噂もあり、いずれにしても、軽い気持ちで行けるような場所ではないから、僕は絶対行かない。


 このような緊迫した状況下にありながら、旅行者たちは別のことに注目していた。イランでは、闇両替が主流であり、通常のバンク・レート(公定レート)では、1ドル≒3000リアルなのだが(イランではゼロを1つ取ったトマンという単位も使われていて、ややこしい。10リアル=1トマン。)、闇両替だと、1ドル≒6000リアルにもなる。

 それがこの混乱により、一時期、1ドル≒6700リアルまで上昇したのだ。タリバンは絶対に許せないと、怒るイラン人たちをよそに、旅行者たちは、不謹慎にも大喜びしていたのだった。


f:id:matatabido:20070525021113j:image