テヘラン~エレヴァン/アルメニア(旧ソ連編1)


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 テヘランからアルメニア・エレヴァンまで行く国際バスに乗る予定で、バスターミナルにいた。数日前、一旦分かれ、カスピ海方面に行っていた大学生のY君と、ここで再び合流することになっていたのだ。

 しかし、出発30分前を過ぎても彼は現れなかった。もし彼が、時間までに現れなかったら、どうすればよいのか。元々ひとり旅とは言え、彼を置いて、ひとりで先になど行ってよいのだろうか。


 出発ギリギリになって、ようやくY君は現れた。

 「すみません、遅れて。カスピ海沿岸のラムサールってところに行ってたんです。

 いやあ、参りましたよ。やられちゃいました。

 今日早朝5時ぐらいに、このバス・ターミナルに着いて、まだ早いから、ベンチで寝てたんです。そしたら、ひとりのイラン人が話し掛けて来て、仲良くなって、ちょっとトイレに行く間、バックパックを見てもらってたんです。でも、戻って来たら、そのイラン人はどこにもいないし、荷物も無くなってました。それで、出て来る訳ないけど、一応、警察に行ってて、今戻って来たんです。」

 疲れ切った表情で、そう言うY君を見て、何も言えなくなってしまった。


 幸いにも彼は、現金、パスポート、そしてこのバスのチケットなど、貴重品は身に付けていたため、予定通りにアルメニア・エレヴァンへ向かうことになった。

 パキスタンよりは、多少はマシではあるが、通常イランを走る長距離バスより、はるかにボロく、不安を抱かせたまま、予定をかなり遅れて、午後2時バスは出発した。


 バスはどんどん北上し、夕暮れも相まってか、急激に寒い風が吹き込んでくる。気が狂いそうに暑かった、あのパキスタンが昨日のことのように思われるが、思えば、もう10月である。季節の移り変わりとともに、西へ、西へ、そして北へと進み、正にそれを肌で感じていた。

 夜になり、タブリーズを過ぎた辺りから、予想外の寒さが我慢しきれなくなって来た。しかし荷物を盗まれ、Tシャツ、ジーンズ、サンダルのみしか持たないY君に、ウインド・ブレーカーを貸してしまったため、Tシャツを何枚も重ね着するしかない。他に冬服は全く持っていないのだ。ウトウトしながらも、やはり寒さのため、何度も目を覚まし、外の暗闇を眺め続けた。

 それから何時間、経ったのだろうか。暗闇の中に、アゼルバイジャンとの国境の鉄条網が見え始めた。その鉄条網沿いに、バスはしばらく走り、午前4時頃、イラン・アルメニア国境へ到着した。

 しかし、24時間、開いていると聞いていた国境は開いておらず、6時まで寒いバスの中で待たされることになる。


 ようやく6時になり、開いたイラン側の国境事務所で、出国手続きを簡単に済ませ、銃を構えた兵隊が立っている物々しい雰囲気の緩衝地帯の橋を渡り(▼写真参照)、アルメニア側の国境事務所に向かったのだが・・・

 その時、国境を越える日本人は、僕とY君と、もう1人。日本で翻訳の仕事をしているKさん。彼は、僕たち2人が、グルジア・ヴィザでのトランジット入国であるのと違い、アルメニア・ヴィザを取得していた。


 3人揃って、イミグレーションへパスポートを提出したのだが、10分経っても、20分経っても、返してくれない。アルメニア人たちは、続々と国境を越えて行くにも関わらず、依然、僕たちは待たされたまま。何度、尋ねてみても、返って来るのは、「まだだ。もう少し待ってくれ。」という冷たい返事であった。

 1時間程経って、ようやくイミグレーションの事務所へ呼ばれ、名前、職業、入国目的などの簡単な質問をされた後、外貨申請と称して、現金、トラベラーズ・チェックを係官の目の前で、数えさせられた。

数えている最中に、度々横から他の係官が話しかけて来て、気を反らそうとする。目を離した隙に、現金を抜き取ろうという魂胆なのか、気を引き締めた。

 

 それから、また1時間程、待たされ、かなりイライラしながら、再びイミグレーションの係官に尋ねると、ようやくアルメニア入国スタンプの押されたパスポートを1つだけ、返してくれた。それはKさんのであった。

「オレたちのは?」

「お前たちは、入国出来ない!」

「えっ?何故だ?」

アルメニアのヴィザが無いから、入国出来ない。」

「それは、おかしい。グルジアのヴィザで、アルメニアにトランジット入国出来ることは、確認してある。アルメニア大使館に問い合わせてくれ!」

「ちょっと、そこで待ってろ!」


 全く訳が分からず、途方に暮れてしまった。万が一、アルメニアに入国出来なかった場合、一体どうなってしまうのか。イランを既に出国してしまっているため、戻ることは不可能だろう。ということは、この緩衝地帯から、永遠に動けないのか。そんなバカな。

 怒った僕たちは、嫌がらせのように、イミグレーションの前に立ち続け、入国させてくれるまで、断固動かない姿勢を見せた。もう、僕たち3人(Kさんは、入国スタンプをもらったにも関わらず、2人が入国出来るまで、待っていてくれた。)と同じように、イミグレーションの係官に難癖を付けられている数人のイラン人しか残っていない。

バスは待っていてくれるだろうか。しかし、まず入国することが大切、その後のことは、それから考えよう。


 イミグレーションの前に立ち続けて、2時間程経ち、僕は怒りを超えて、かなり動揺していた。他に日本人がいたから、まだ良かったが、ひとりだったら、どうなっていたことか。だが、何とかなる、そう自分に言い聞かせ、無理矢理、気持ちを落ち着かせるしかなかった。焦って、どうなるものでもない。とにかく冷静に、入国出来る方法を考えなければならないのだ。

 しかし、他に方法も思い浮かばず、尚も立ち続けるしかなかった。何度か、いつまで待たせるのかと聞いてみたが、「今、ポリスに確認している。ちょっと待ってろ。」と、相変わらず、らちが明かない。いつまで待たせれば、気が済むと言うのだ。

 大体、なぜ大使館ではなく、ポリスなどに問い合わせているのだ。でたらめを言っているのか。こちらがシビレを切らして、賄賂を払うのを狙っているのかもしれない。絶対に払ってなるものかと言いたいとこだが、本当は内心かなり弱気になっていた。


 午後1時を過ぎた頃、バス会社のアルメニア人たちが、イランの出国手続きを終え、アルメニア側にやって来た。そう、バス会社の連中は、まだいたのだ。ということは、バスはまだ発車していないということである。

 その中のバス会社のボスらしきアルメニア人が、入国を許されずに立ちすくんでいる僕たちを見付け、イミグレーションの係官に、二言三言、話すのが見えた。すると途端に、係官は入国スタンプを押したパスポートを返してくれたではないか。

 「もういい加減にしてやれよ。」とでも言ったのだろうか。もしかしたら、バス会社の連中がイラン側でもたついているので、入国して来るまでの間の暇つぶしとして、からかっていただけなのではないだろうか。だとしたら、8時間も待ち続けた苦労って、一体・・・・・。


 午後2時頃、すっかり疲れ切った僕たちを乗せて、ようやくエレヴァンに向けて出発した。出発するとすぐに、倒れこむかのように眠ってしまったが、しばらく走って、すぐにバス会社のボスの声で叩き起こされた。

 「おい、起きろ!お前が楽しみにしていたものだぞ!」

 バスは、東屋のような小さな食堂のようなところに止まっていた。よく見ると、先程まで、スカーフやコートなどで顔や体を隠し、肌を露出させないようにしていた女性たちが、Tシャツなど随分とラフな格好をしているではないか。

 イスラム圏では、国によって差はあるが、ご存知のように女性は肌を露出してはならない。(シーア派のイランよりも、さらに戒律の厳しいスンニー派パキスタンは顔さえも隠している。)

 そんな国々にずっと滞在していた僕にとっては、イランからアルメニアに入って久しぶりに見た、チャドルなどを着ておらず、Tシャツやタンクトップ姿で、肌を露出させる女性たちが、何ともいやらしく思えたのだ。


 だが、楽しみにしていたものは、それではない。そう、ここはもうイスラム圏ではないのだ。酒が飲めるのだ。その食堂に入ると、さっそくビールを注文すると、まるでそれがイスラム圏を抜けた儀式であるかのように、一気に飲み干した。