カッパドキア~パムッカレ(トルコ編2)


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 夜行バスに乗り込んだ僕は、どうも落ち着かなかった。尻が痛いのだ。それも穴が。

 トラブゾンの後、カッパドキアに5日ほど滞在した僕は、パムッカレへ向かっていた。


 今日の昼間、カッパドキアのゼルベ屋外博物館へ行くため、自転車に乗っていた時も、確かに少し痛かった。この時は、サドルが硬いからだと思って、それ程、気にも止めていなかったのだが、どうもこれはおかしい。

 夜が更けるに連れて、ますます痛みは増し、まともに座っていることも出来なくなって来た。中腰になって、尻を浮かせたり、たまたま空いていた隣の席に横になったりしてみたが、ついに朝まで一睡も出来なかった。


 このカッパドキア・ギョレメからパムッカレ直通の夜行バスは、かなりの確立で睡眠薬強盗が出るという噂のバスである。睡眠薬入りのジュースやケーキを旅行者に振るまい、眠らせた後に金品を奪うという強盗の手口。

 これからイスタンブール、そして東欧へ向かうに当たって、かなり注意しなければならないのだが、尻の痛みで、それどころではなく、強盗のことはすっかり忘れていた。


 早朝4時、パムッカレに着くと、どこでもいいから、近くの宿を開けてもらい、とりあえず寝ることにした。熱いシャワーで尻を温めようと思っていたが、10時までお湯は出ないと言う。仕方なく、ベッドに横になるが、こんな柔らかいベッドの上でも、仰向けになると痛いのだ。

 さらに排便をする時、信じられない程の激痛が走る。歩くのさえも辛い状態に陥ってしまったのだ。まさか、こんなことが原因で旅が終わってしまうのか。

 「尻の穴が痛くて、旅を断念した。」なんて、みんなに何と説明したらいいのだろうか。とりあえず、イスタンブールに着いても治らなければ、病院へ行こう。しかし、トルコで肛門科に行くことになるなんて、何てことだ・・・。


 それにしても、なぜ痛いのだろうか? 痔なのか? 確かに下痢気味の状態が続いてはいたが、それぐらいでこうなるだろうか。もっと他の理由・・・・・

ま、まさか? 男にやられた??

寝ている間に睡眠薬を嗅がされて、やられたのか?もしそうだとしたら、一体どこで?

 パキスタンは確かにゲイが多いが、出国してから、かなり経っている。今頃になって痛くなるだろうか。ということは、その後だが、イラン以降はずっとY君と一緒だったため、それも考えにくい。

 もっと最近か?カッパドキアのドミトリーには日本人が何人もいたし、唯一、考えられるとすれば、トラブゾンからカイセリへ向かう夜行バスの中だが、そもそもいくら睡眠薬を嗅がされて眠らされたからと言って、やられれば、いくら何でも、覚えているのではないだろうか。

 色々と考えを廻らせてみたが、分からない。もっとも、もしやられているとすれば、覚えていない方がよいが・・・。


 うつ伏せで昼過ぎまで眠り、何とか気力を振り絞って、有名な石灰棚へ行ってみた。(▼注21)

 その温泉溢れる階段状の石灰棚を、裸足になって、ゆっくりゆっくりと1歩づつ踏みしめるかのように上がっていった。激しく歩くと、尻に響いて、激痛が走るのだ。

 結局、その後、翌日の夜行バスの時間まで、食べ物や水を買いに行く以外には、全く出掛けることなく、ベッドの上で、休み続けるしかなかった。


 しかし、結局、痛みは治まることなく、バスの時間がやって来た。この状態で、バスに乗れるのだろうか。

 送迎バスが出るホテルの前まで、バイクで送ってもらうことになった。さらにそこから、イスタンブール行きの夜行バスが出るデニズリのバスターミナルまで、送迎バスに乗るのだ。(トルコでは、チケット・オフィスからバスターミナルまでの送迎サービスがある。)

 ところが、バイクの後ろに乗ろうと股を開くと、もの凄い激痛が走る。さらにバイクが揺れるたびに、尻の穴が裂けるかと思う程であった。バイクの後ろで、「痛い!痛い!」と悲鳴を上げながら、必死で耐えているマヌケな僕に、運転するオヤジは首を傾げていた。

 本当に、このまま明日、イスタンブールへ向かわなければならないのだろうか・・・。


 この僕の話は、当時のアジア・ヨーロッパの日本人バックパッカーの間で、かなり話題になっていたようだが、この際だから、はっきり言っておく。

絶対やられていない!!・・・・・と思う・・・・・。本当にやられてたら、洒落にならないな・・(笑)。



▼注21「石灰棚」 参考文献?

 パムッカレには、古代ペルガモン王国からローマ帝国に至るまで、使われていた療養施設ヒエラポリスがある。そのヒエラポリスから湧き出る石灰分を含んだ温泉が、斜面を流れ続ける間に、白く地表を覆っていき、独特の不思議な景観を作り出した。

 ここは、トルコ旅行のパンフレットに必ずと言ってよい程、出て来る、あまりに有名な観光名所であるため、毎日、多くの人がやって来て、すっかり石灰棚が脆くなってしまった。そのため一時、立ち入り禁止にもなっていたようだが、この時は再び入れるようになっていた。

 この石灰棚の上に、都市遺跡ヒエラポリスが点在しているのだが、高級ホテルがいくつも立ち並び、そのホテルの開発ラッシュが原因で、湯量が減るなどの問題が起こり、石灰棚が脆くなっているらしい。