イスタンブール(トルコ編3)
バスは、イスタンブールのアジア側(ハレム)のオトガル(バスターミナル)に到着した。ここから、ボスポラス海峡を渡る連絡船に30分程乗れば、ヨーロッパ側(エミノニュ)へ着く。
すなわち、そこは旅の第1部アジア横断の終点。
大阪から船に乗り上海へ、そこから、列車とバスを乗り継ぎ、陸路のみで3ヶ月、ついにアジアの果てへ辿り着いたのだ。
昨晩、他の旅行者にもらって飲んだ鎮痛剤が効いているのか、嘘のように尻の痛みが治まっている。
連絡船の甲板から、かすかに見え始めたブルーモスクやアヤソフィアが、ヨーロッパの始まりを予感させ、少し興奮した。尻の痛みが治まったせいか、辛く暑いアジアでの日々を通り抜けた達成感からか、ようやく楽なヨーロッパの旅が訪れる、そんな晴れやかな気分になっていたのだ。
とりあえず、安宿が多く集まるというスルタンアフメット・ホテル街へと向かった。
日本人の溜まり場は主に3つあり、コンヤ・ペンション、ムーンライト・ペンション、ホテル・アヤソフィア。その中でも、一番有名なのが、コンヤ・ペンション。
日本人の溜まり場には、あまり行きたくないのだが、色々と情報を得やすいということで、時々利用していた。やはり、生の口コミ情報が、一番役に立つ。どうしても、悪名高いブルガリア、そしてコソボ問題で揺れるユーゴスラビアの情報を得たいのだ。
今まで、いくつものバックパッカーの溜まり場に泊まってきた。
便器にウンコが山盛りになって詰まっている中国・タシュクルガンの交通賓館。
四六時中、大麻の匂いの耐えることがなかったパキスタン・ギルギットのマディナ・ゲストハウス。
南京虫が天井から落ちてくるような不潔なラホールのYWCA。
服を着たまま、シャワーを浴びても、あっと言う間に乾いてしまうサウナのようにうだる暑さのムルタンのマブラ・ゲストハウス。
難民に占拠された廃墟のようなグルジア・トビリシのコルヘティ・ホテル。
だから、ドアを開けた時、いかにもヒッピー然とした長期旅行者が沈没(長期滞在)していそうな、特有の退廃的な雰囲気が、目に前に現れても、特別な感想はなかった。
ベッドは満員らしく、宿泊客が起きて来るまで、待つように言われた。寒い中庭で、まだイスタンブールへ到着した感慨に耽りながら待ち続けた。
中庭にもベッドがあり、どうやらそこが一番安く、3ドル(≒60万トルコ・リラ)で泊まれるらしい。(▼注22)
そこで寒そうに寝袋に包まって寝ていた、横山やすしにそっくりな中年の男が起き上がり、朝食の準備をしながら、話し掛けて来た。
「今来たの?どこから来たの?」
「カッパドキアから、今朝来たんです。」
「他にどこ周って来たの?」
「上海からパキスタン、イラン、旧ソ連の方とか周って、アジア横断して来たんです。」
「へえ、どれぐらいかかった?」
「3ヶ月ぐらいですね。」
「オレもさあ、横断やりたかったんだよね。でも出発は中国なんだよ。そこからシベリア鉄道乗ってさあ、モスクワまで行って、東欧とか北欧周って来たんだ。北欧は物価高いよ。驚いちゃった。マクドナルドで食ったら、1000円以上するんだよ。高くて泊まれないから、毎日ユーレイル・パスで夜行列車に乗ってたなあ。しかし、中国出発でイスタンブールだから、最初と最期だけ、横断だなあ。」
男は一方的に、自分のことだけ、喋りまくっていた。
やがて、他の旅行者たちも起き出し、数人が中庭にやって来た。その中の、長髪に髭がボーボーで、いかにも長期旅行者というスタイルの若い男に話し掛けたが、無視されてしまった。話したくないのなら、別にいい。お前になど、用はない。
ボーっと待ち続けていると、ようやく宿のオヤジがやって来た。どうやら、ドミトリーなど部屋の方の空きはなく、庭のベッドの西洋人が今日出るので、そこが空くだけらしい。
しかし、この寒空の下、庭のベッドで寝袋に包まって、横山やすしと並んで寝るのか・・。3ドル出して、野宿同然に庭で寝るぐらいなら、5ドルちょっと出しても、他の宿のドミトリーに泊まりたい。
結局、コンヤ・ペンションを諦め、日本人が泊まっていない安宿マヴィ・ゲストハウスに泊まることに決め、情報のみを仕入れに、コンヤ・ペンションに行くことにした。
大きな都市へ来て、まず最初にすること。それは、GPO(中央郵便局)、日本大使館(あるいは領事館)へ行くこと。日本から、手紙などが来ているかもしれないのだ。
さっそく、GPOへ行くと、大学時代からの親友で、バックパッカー仲間でもあるカワハラから手紙が届いていた。
「元気にやってるか? 中国の洪水、インド、パキの核実験と心配してたんだ。日本の現状を教えよう。・・・・・・・(中略)
ところで、イスタンブールに行こうかと思っています。ホテル・アヤソフィアで会おう!」
驚いた。カワハラがイスタンブールへ来るかもしれないのだ。僕は慌てて、ホテル・アヤソフィアへ向かった。
宿へ行き、オヤジに事情を説明して、メモを手渡すと、何と、「カワハラなら、そこのドミトリーにいるぞ。」と言うではないか。もう来ていたのか?慌てて、ドアを叩いたが、残念ながら、留守であった。オヤジに念を押すように、本当に来ているのか、尋ねると、宿帳を見せてくれた。
「ほら、これ!」
「えっ、どれ?」
「これだ。ヨシノリ・カワハラ!」
「えっ?違うよ。ヤスアキ・カワハラだよ。」
「こいつしか、泊まってないよ。」
何だ、同じ名前の違うやつだったのか。残念である。これから来るかもしれないので、オヤジにメモを渡して、帰ることにした。
その後、ガラタ橋周辺を散歩して、エミノニュからスルタンアフメット・ホテル街へ向かう石畳の坂をトボトボと歩いていると、突然後ろから背中を叩かれた。振りかえると、何と、今朝コンヤ・ペンションで僕の事を無視した長髪の男ではないか。
「アジア横断して来たらしいですね。あなたのこと、話してた人がコンヤ(ペンション)にいましたよ。」
誰だろう? アジアで会った連中だろうか? カワハラだろうか? 明日もう一度、コンヤに行ってみよう。
▼注22「トルコ・リラ」
トルコは極度のインフレで、トルコの通貨(リラ)は、桁が異常に増え過ぎていて、頭が混乱する
トルコ・リラは、1ドルが、何と270000(27万)リラにもなるのだ。そのため5000000(500万)リラ札まであり、買い物の時など、思わず1桁間違えてしまいそうになる。通常、ゼロを3つ省略して言うのが普通なのだが、旅行者を混乱させるためか、4つ省略して言うものもいて、その度に桁を確認しなければならない。