イスタンブール(トルコ編4)

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 イスタンブールに着いて、毎日のように、町の至るところを歩き回っていた。

 ガラタ橋を渡り、新市街タキシムへ。グラン・バザールからアクサライ方面へ。さらに、トルコ建国75周年記念で、タダになっているのをいいことに、バスやトラムにも乗りまくっていた。(▼注23)


 コンヤ・ペンションへは、その後、何度か行ったが、パキスタン北部・アルチット村のキサール・インで会った日本人がいただけで、僕のことを話していたのは、結局誰か分からなかった。(カワハラとも結局会えなかった。)


 4日目に宿のオヤジの強い勧めで、サッカーのトルコ・リーグの試合を観に行くことにした。

 イスタンブールには、サッカー・チームが4つあり、そのうちの3つ、ガラタサライベシクタシュ、フェナルバチェがトルコ3大チームと言われている。そのうちの2つ、ベシクタシュVSフェナルバチェのゲームが、タキシムのイノニュ・スタジアムであるのだ。

 困るのは、イスタンブールの中で人気を3分しており、下手にどこかのチームのユニホームでも着て、街を歩いていると、他のチームのファンに絡まれる怖れがあるのだ。

 宿の中でも、オヤジはフェナルバチェ、若い従業員はガラタサライ、宿によくやって来る近所のおじさんはベシクタシュといった具合で、ゲームの度にケンカしてる有様。どこを応援するか迷ったが、この宿で一番偉いオヤジによって、半ば強引に、フェナルバチェを応援するように決められてしまった。

 何と、ゲームの前日にはオヤジによって、応援ソングを繰り返し、繰り返し、練習させられ、すっかり洗脳され、フェナルバチェ・サポーターと化して、スタジアムへ乗りこんだのだが・・・


 スタジアムへ着いて、驚いた。朝っぱらから、既にスタジアムの周りは、サポーターで埋め尽くされている。しかも、そのサポーターは黒一色。黒は、ベシクタシュのチーム・カラーである。フェナルバチェのチーム・カラーである青は、わずかしかいないではないか。

 そう、このゲームは、ベシクタシュのホーム・ゲームである。日本人がひとりでサッカーを観に来ているということで、目立っているのか、やたらに話し掛けられるが、みんな「当然ベシクタシュを応援しているんだろ!」といった雰囲気である。


 昼過ぎまで、海沿いの公園などを散歩して、時間を潰し、スタジアムへ戻ると、待ちきれないサポーターたちが、「早く開場しろ!」と言わんばかりに、入口に大挙押しかけ、機動隊と早くもやり合っている。噂には聞いていたが、ここまで熱狂的とは。

 午後2時、そのサポーターたちに押し切られるような形で、予定よりも早く門が開けられた途端、みんな機動隊によるセキュリティ・チェックも無視して、一勢に走り出した。どうやら自由席らしいのだ。僕も慌てて走った。

 あっという間に、真っ黒なベシクタシュ・サポーターで埋め尽されたスタジアムでは、ベシクタシュの応援ソングの大合唱が始まった。この大合唱が、途中で何度か休憩はあるものの、キックオフの午後7時半まで、延々と続くのだ。まだ後、5時間もあるというに、このテンションの高さ、これは堪らない。


 キックオフの時間が訪れた時、僕は、すっかりベシクタシュの応援ソングに洗脳され、昨日覚えたフェナルバチェの応援ソングをすっかり忘れてしまい、早くも疲れ切っていた。

 ゲームは、開始早々にベシクタシュが先制、その後すぐにフェナルバチェが追いつき、後半に入り、さらに逆転、しかし再びベシクタシュが追いつき、スタジアムは、最高潮に盛り上がって、終盤を迎えた。

 スタジアムを埋め尽くす真っ黒なベシクタシュ・サポーターは、より大きな声で、応援ソング、さらにはエースFWのアモカチ(ナイジェリア代表)の応援ソングまで飛び出した。

 「ア~モ~カ~チ~、カチッ、カチッ!ア~モ~カ~チ~、カチッ、カチッ!・・・・・・・」

 そして、その応援ソングが伝わったのか、終了間際にアモカチの決勝ゴールが決まった。その時、僕はすっかり、ベシクタシュ・サポーターと化していた・・。


 ゲーム終了後、興奮覚めやらぬサポーターたちは、大声で応援ソングを大合唱しながら、発煙筒を撒き散らし、騒ぎ続ける。

 さらにはスタジアム前の大通りの車道にはみ出して、ベシクタシュの旗を振り乱し、すっかり交通の流れを遮断してしまっているが、誰も怒るものはいないようだ。

 僕もすっかり興奮していたため、同じように車道にはみ出し、暴れるサポーターたちの写真を撮っていた。その時、カメラのファインダーから見えていたサポーターたちが、走って逃げるのが見えた。

 一瞬何が起こったのかと、カメラを構えるのをやめ、後ろを振り返ったのだが、もう遅かった。訳の分からぬまま、機動隊によって、倒され、引きずり回され、さらに警棒で何度も足を殴られた。車道にはみ出し、クルマに蹴りを入れたりして、大騒ぎしている悪質なサポーター(フーリガン?)を取り締まっている機動隊に、勘違いされたのだ。

 しかし、「オレは違う!」と暗闇の中、日本語で叫んでも、伝わるはずなどなかった。


 足を引きずりながら、宿に戻っても、青あざの出来た足の痛みと興奮の収まらない僕のドミトリーへ、宿のオヤジがやって来た。

「今日は、フェナルバチェ、負けて残念だったなあ。」と言うオヤジ。

「実は、ベシクタシュが好きになってしまったんだ」とは、とても言えなかった・・・


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▼注23「トルコの建国記念日とアタチュルク」 参考文献?

 10月29日は、トルコの建国記念日なのだが、僕が旅した1998年は、75周年という特別な年であり、その数日前から、街の至るところで、パレードが行われ、トラム(路面電車)やバスに至っては、乗車賃がタダになるというスペシャル・ウィークであった。

 このお祭りの期間中、街中で、真っ赤なトルコ国旗とともに、アタチュルクという人物の肖像画を見掛けた。

 かつて、西欧諸国との相次ぐ戦争に敗れ、領土を失い、エジプトの他、ギリシャなどバルカン諸国も独立し、衰退した近代のトルコは、第1次世界大戦で敗戦国側となり、領土分割、植民地化の危機にさらされた。

 このような危機感を背景に革命が起こり、軍人出身のケマル・パシャがトルコ国民党を率いて、オスマン帝国を打倒し、混乱に乗じて侵入したギリシャ軍を撃退し、アンカラを首都として、1923年トルコ共和国を建国した。

 トルコの西洋近代化を目指し、政教分離など数々の改革を実施したケマル・パシャは、後に「アタチュルク(トルコ建国の父)」という称号で呼ばれるようになり、現在もトルコのすべての紙幣に彼の肖像画が使われている。