プロブディフ/ブルガリア(東欧編1)


大きな地図で見る

f:id:matatabido:20070626205313j:image


 ついにアジアに別れを告げ、イスタンブールから、国際列車バルカン・エクスプレスに乗り、ブルガリアに向かっていた。


 いよいよ明日、目が覚めれば、そこはもうヨーロッパだ。そう思いながら、ウトウトしていると、突然、叩き起こされた。

 「おい、何をやっているんだ!」「国境だぞ!出国スタンプは押したのか?」「無いじゃないか!早く(列車から下りて)、ポリスでもらって来い!」

 てっきり、係官が乗って来て、パスポート・チェックをするものだと思っており、呑気に眠っていたのだ。まさか、自分で列車を下りて、ポリスにスタンプをもらいに行くとは思わなかった。大慌てで、車掌に、発車しないように念を押し、猛スピードでスタンプをもらって来なければならなかった。


 翌朝、ブルガリア第2の都市プロブディフへ降り立った。

 ブルガリアは、旅行者たちの間で、悪名高い場所である。何故か。

 主に、首都ソフィアなど都市部で、ネオナチのようなスキンヘッド軍団が夜中に街を徘徊していて、東洋人、その中でも特に金を持っていそうな日本人は目の敵にされており、袋叩きにされるという。噂だけが先行している感もあるが、実際にボコボコにされたと言う旅行者にも出会った。(▼注24)

 

 ブルガリアはそれ程、行きたいという国でもなかった。そのため、治安の悪いと噂の首都ソフィアを避け、プロブディフで下りたのだ。しかし、スキンヘッド軍団を避けられても、不愉快な思いをすることがあった。

 現実に、アメリカでもヨーロッパでも、アジア人に対して、差別的な気持ちを持った人は結構いるのかもしれない。ただそれを露骨に表す人は少ないだろう。ところが、こんなことがあった。

 繁華街アレクサンドル通りから、さらに北へ行くと、マリッツァ川があり、そこに露店が多く並ぶ橋が架かっている。そこで、ボーっと座り込んでいた時の話である。


 数人の子供が何か言いながら、僕の方へやって来た。相手でもしようかと笑顔を見せると、何といきなり、僕の方へ向かって、唾を飛ばすではないか。これにはびっくりした。さらに、言葉は分からないが、明らかに、バカにするように何か叫びながら、「日本人は帰れ!」というポーズを取った。

 これはとてもショッキングであった。さすがに、声が出ず、悲しくなってしまった。


 ようやくヨーロッパの旅がスタートしたというのに、何てことだ。

 壊れかかった壁。寂しげに落ち葉が舞う、誰もいない路地裏。蔦が絡まり、今にも幽霊が出そうな古い屋敷・・・。本来は好きなはずの寂れた風景が、悲しい気持ちに追い討ちをかけるような気がした。


 さびしく宿に戻って、久し振りのシングル・ルームのベッドに横たわっているうちに、いつしか眠ってしまった。

 夜になり、ようやく目を覚まし、スーパーへ夕食でも買いに行こうとして、驚いた。ドアが開かないのだ。右へ回しても、左へ回しても、何度回しても開かない。おかしい。さらに激しく回していると、何とドアノブが取れてしまった。

 ドアをいくら叩いても、誰にも聞こえるはずはない。窓はあるが、ここは3階、外には出られない。もちろんベランダもない。どうしようか・・・

 完全に閉じ込められてしまったかもしれない。ものすごく焦っていたが、一生懸命に気持ちを落ち着かせようとした。今まで旅してきて、少しは成長したのか、何とかなるだろう、そう思えた。

 床や壁をドンドンと叩いて、隣の部屋の人に気付いてもらおうとした。そして、窓から顔を出し、外を歩く人に大声で、「ドアが開かなくて、閉じ込められた!」と叫んだ。しかし、声が聞こえないのか、「頭のおかしいアジア人が大声で窓から叫んでいる」としか思われていないようで、だんだん恥ずかしくなって来た。

 しかし、恥ずかしがっている場合じゃない。こんな安宿では、ベッドメイクも来ないだろうから、下手すると、数日間も発見されないかもしれないのだ。しかも、この時は水も食糧も持っていなかった。


 さらに叫び続けたが、無意味なことであった。ドアをぶち壊そうかなどと他の方法を考えていた、その時、ようやく宿の人がやって来た。どうやら、隣の部屋の人が、僕の部屋がうるさいと苦情を言ったらしいのだ。ありがたい。

「うるさいですよ。どうかしたんですか?」

「ドアのカギが開かないんです。」

 結局、宿の人がドアノブを壊して、脱出するまで、3時間以上かかった。原因はドアの老朽化であった。

 とんだ災難にあった、この日、11月2日は、実は僕の誕生日だった。全く、こんな日に、ひとり寂しく何をやっているのだろうか・・・



▼注24「ブルガリア」 参考文献?

 第2次世界大戦以降、ソ連に依存するように存続してきたブルガリアだが、ペレストロイカ以後、ソ連が東欧諸国への支援を減らす方向に動き出したため(この時、ブルガリア共産党のジフノフ書記長は、ソ連ゴルバチョフ書記長に対して、ブルガリアソ連邦の一国に加えて欲しいと頼んだとも言われている。)、今や経済状態は、東欧の中でも、戦争地域を除いて、最も悪い。

 UDF(民主主義連合)という民主諸派の連合体が、政権を握っていた1994年までは、比較的経済も安定していたようだが、1996年頃から食糧事情が悪くなり、大手国営銀行のいくつかが、倒産状態になった。

 さらに、エネルギー不足も深刻となり、石油や石炭が手に入らないので、暖房用に使うために、公園や街路樹などのポプラさえも切られてしまうという深刻な状態なのだ。

 そのため、一般の人たちも含め、ブルガリア人の心は荒廃し切っており、日本人を袋叩きにするというスキンヘッド軍団の、そのような行動も、右翼的な思想に基づいているというよりは、むしろ失業などから来る、ストレスのはけ口という見方の方が当たっているのかもしれない。