ブダペスト/ハンガリー(東欧編3)


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 ベオグラードから、さらに北上して、この旅の最も北にあたるハンガリーの首都ブダペストにやって来た。

 ここブダペストは、温泉の多いことで有名であり、ドナウ川を挟んで、西側のブダ、そして東側のペスト、その両側にいくつもの温泉が点在している。ユーゴスラビアから、まっすぐ西のクロアチアへ直接入らずに、わざわざ一旦、北上してハンガリーへ来たのは、正に温泉に入るため。それだけと言っても過言ではない。(▼注26)


 毎日、温泉に通おうと、ブダペストへ着いた翌日から、さっそくブダ側、ゲーレットの丘のふもとにあるラーツ温泉へ行ってみた。イラン、そしてグルジアでもハマムへは行ったが、今ひとつ満足出来なかった。

 今度こそと思い、温泉に着き、チケットを購入し、ロッカーのカギをもらうと、裸になり、タオル1枚持って、風呂場のある2階へ駆け上がろうとした。その時、脱衣所にいるオヤジが叫んだ。

「ジャパニー、ちょっと待て!」

「えっ??」

「お前、その格好じゃダメだ!ちゃんとこれで隠してくれ!」

 そう言って、何とエプロンを手渡すのだ。日本の感覚では、当然、銭湯といえば、全裸になるものだと思っていたのだが、ここではダメらしい。イスラム圏なら、ともかく、なぜここヨーロッパでダメなのか。その理由は、出来れば知りたくなかったのだが・・・


 仕方なくエプロンを着け、2階へ上がり、風呂場の扉を開けて、目の前に広がった光景に、僕は固まってしまった。毛深く、むさ苦しいオヤジたちが、みんな揃って、全裸にエプロン!あまりの光景に、笑いを通り越えて、頭がクラクラしそうになった。さらに追い討ちをかけるように、鏡に映ったマヌケな自分の姿。

 こんな姿、誰にも見せられない。早く隠さなければ。そう思い、湯船に浸かると、何故かみんな淵の部分に集まっており、真ん中が空いている。手足を伸ばして、ゆっくり浸かりたいので、迷うことなく、真ん中へ行った。


 久し振りの風呂に、周りも気にせず、すっかりいい気持ちになり、くつろいでいると、何か、股間のあたりがムズムズして来た。何かと思い、慌てて周りを見まわして、驚いた。頭のハゲ上がった胸毛の濃いオヤジが、僕の股間を触っているではないか。慌てて、怒鳴ってしまった。

「何すんだ!こらっ!」

 しかし、このハゲオヤジは、「何だ、文句あるのか?」と言った挑戦的な態度で、周りの男たちも無関心を装っている。まさか、この温泉にいるやつら、みんなゲイなのか?

 そうなのだ。後で聞いた話によると、ここラーツ温泉はゲイの溜まり場で、湯船の真ん中に行くことは、その合図であるらしい。つまり、ハゲオヤジは、僕が合図を出していると思ったのだ。エプロンを着けさせられるのも、刺激しないためなのかもしれない。


 そのまま湯船を飛び出て、ロッカーに戻り、着替え始めた。脱衣所にいるオヤジが言う。

「おい、さっき入ったばかりなのに、もう帰るのか?」

「勘弁してくれよ・・・」


 結局そのまま、再び温泉に行くことはなく、ブダペストを去ることになったが、どうしても気になることがあった。温泉には、1日おきに男性デーと女性デーに分かれているのだが、女性も全裸にエプロンなのだろうか?

 誰か、確かめてほしいものである。



▼注26「ハンガリーの温泉」 参考文献?

 中央アジアウラル山脈騎馬民族を祖先に持つマジャール族は、温泉周辺に居を求めていた。このマジャール族がハンガリー人の祖先であり、ヨーロッパでは珍しいアジア系の国家として、行き抜いて来た。

 今では、すっかりヨーロッパ的な顔立ちと肌の色を持つハンガリー人が多いが、未だに、乳児には度々、蒙古斑があると言う。

 トルコ統括時代の16世紀には、身を清めるイスラム教徒の習慣から、次々と温泉施設が建てられた。さらに、1960年代には、国をあげて、大規模な温泉開発に乗り出し、国内数十ヶ所に温泉浴場、病院、サナトリウム温水プールなどを新設し、古い温泉施設の増改築を行った。

 70年代には、国連が温泉開発技術指導を行う施設を設置したり、今やブダペストは、温泉療法のメッカとなっている。