ブレッド/スロベニア(東欧編5)


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 ザグレブから列車で、わずか3時間半、スロベニアの首都リュブリャーナへやって来た。

 駅のベンチに腰掛け、ツーリスト・インフォメーションでもらった観光案内のパンフレットをパラパラとめくっていて、ふとある写真に目が止まった。

 霧に煙る湖に、薄っすらと浮かぶ真っ白な教会。

 オーストリア国境に近いブレッド湖というところらしく、ここからも、近いようだ。僕は、リュブリャーナに泊まるはずだった予定を、急遽変更して、バスに飛び乗った。

 

 季節はもう11月中旬、アルプス山系の東端にあたるカルニケ山脈が間近に迫った、この湖畔の町ブレッドに夜降り立つと、真冬のような寒さが襲って来た。とりあえずシーズン・オフでディスカウントされているペンションに宿を取ることにした。


 ここブレッドは、旧ユーゴスラビア時代から、屈指の観光地として有名なところで、何と日本の天皇も訪れたことがあり、その湖の美しさに感動したという。しかし、カジノや高級ホテルが並ぶ、正にリゾート地といった感じもあり、僕の来る場所ではないのかもしない。(▼注28)


 とりあえず、霧に煙るブレッド湖をブラッと、1周してみることにした。すると、なるほどみんなが絶賛するだけのことはある。湖の中に小島が浮かび、その小島にある真っ白な教会が、霞んで見える。

 何度も足を止めては、その聖マリア教会をボーっと眺め続けた。ここは落ち着けるかもしれない。1周2時間の程の、湖の周りを何周もしながら、そう思っていた。

 ここブレッドは、何もせず、ただボーっとするには、正に打って付けの場所のような気がする。何もしない日があったっていいじゃないか。そう自分に言い聞かせているが、一体、何もしない日が、この旅で何日あっただろうか。


 翌日、丘の上にある、湖が一望出来るブレッド城の展望台に行くと、1人の日本人と会った。そして、お互い目が合った瞬間、同時に声を上げた。

「あれ??」

「どこかで会いましたよね?」

「どこかで・・・・・」

「あっ!」

 イスタンブールのゲストハウスで1日だけ一緒だったT君だった。

何という偶然だろうか。この時はそう思ったが、実は長期旅行者には、よくあることなのだ。


 僕もT君も、イスタンブールを出て以来、全く日本人と会っていないため、夜久し振りに、酒を飲みに行くことになった。僕たちは、地元の人たちが集まるバーで、調子に乗って何杯も何杯も浴びるように飲み、色々な話をした。


 すっかり酔ってしまい、気持ち良くなった僕たちに、同じく、すっかり出来上がったスロベニア人のオヤジが、突然絡んで来た。オヤジは、ひとりで手品をしたり、タバコの火を口の中に入れて消したり、色々なパフォーマンスを行い、どうだ、凄いだろうと迫って来た。

 最初は、どう接したらよいのか分からず、遠慮して拍手などをしていたが、それが彼を調子付かせたのか、机の上に乗って踊るなど、段々とエスカレートして来た。店の人たちや、他の常連客たちは、呆れたように、こう言った。

「あのオヤジは、いつも、ああなんだ。ほっとけ、ほっとけ。」

 T君はすごく嫌がっていたが、僕は、みんなに疎んじられても、なお続けるオヤジが嫌いではなかった。

12時ぐらいまで飲んで、「もう帰るのかよ」と不満そうなオヤジと、握手して、店を出た。


 千鳥足で店を出て、湖の前で、お互いの健闘を祈って、T君と別れた。T君は、この後、オーストリアチェコ、ドイツと北上して行くらしい。その後、スカンジナビア半島へ。冬の北欧なんて、辛そうだ。

 僕は千鳥足ながらも、比較的元気だったのだが、T君と別れた途端、気が緩んだのか、急に気持ち悪くなり、天皇が絶賛したという、美しいブレッド湖に吐いてしまった。それからしばらく、氷点下のブレッド湖畔に、座り込んでいた。このまま眠ってしまったら、確実に凍死するだろうな・・

 頭がガンガン痛み、震えの止まらない体で、這いつくばるように、宿へ戻った。


 明日は、ついにイタリアへ向かう予定だったが、この調子では無理だろう。また明日も、何もしない日になりそうだ。



▼注28「スロベニア」 参考文献?

 旧ユーゴスラビア諸国で唯一、単一民族国家であるスロベニアは、直接選挙に基づいてはいるが、権限の弱い大統領制を採用し、最初から、例外的に安定した民主主義を実現している。

 通貨のトラールは、クロアチアの通貨クーニャと同様に、ドイツ・マルクとリンクしており、相場も安定している。そのためか、街を歩いていても、ベオグラードのような退廃的な雰囲気は全く感じられず、随分と小奇麗な印象を受ける。