ボローニャ~フィレンツェ(イタリア編2)
イタリア、いやヨーロッパに来た最大の目的は、サッカーを観戦することである。セリエAの日程を確認したところ、11月22日にフィレンツェで、フィオレンティーナVSインテルのゲームがあるということを知った。
この年のインテルは、前年ボローニャで見事に復活して移籍して来たイタリアの至宝・ロベルト・バッジオと、あのブラジル代表のロナウドが、ドリーム・コンビとして2トップを組んでいた。さらに対するのは、今シーズン絶好調で、首位をひた走るフィオレンティーナ。エースFWのバティストゥータ(アルゼンチン代表)も得点ランクのトップを独走中。
正に観戦するには、絶好のカードであった。しかし、それだけの人気カードであるからには、チケットが取れるだろうか?
ヴェネツィアからフィレンツェへ行く途中、ボローニャへ寄ってみたが、チケットのことがどうしても気になり、当初は数日滞在するはずの予定を、わずか1泊だけで切り上げ、斜塔に行っただけで、すぐにフィレンツェへやって来た。
既に試合の4日前、焦っている僕は、宿に荷物を置くと、すぐにチケット探しに出掛けた。しかし、チケットは、一体どこで売っているのだろうか? 日本のように、チケットぴあのようなプレイガイドがある訳でもなく、よく分からない。とりあえず宿のおばさんに聞いてみたが、「スタジアムで売ってるんじゃないの?」と曖昧な返事。
仕方なく、サンタマリア・ノヴェラ駅のツーリスト・インフォメーションへ行ってみた。だが、受付のお姉さんは、よく分からないらしい。サッカー大国のイタリア人だというのに、宿のおばさんと言い、女性たちはサッカーに興味がないのだろうか。
僕が怪訝そうな顔をしていると、奥にいたもうひとりの女性が、レップブリカ広場にチケット売り場があり、そこで既に販売していると教えてくれた。そうだ、それでこそ、イタリア人である。
(その後、イタリア、スペインの各地で、サッカーを観戦したが、このような場外チケット売場以外に、サポーターの集まるバール(飲み屋)、スポーツ・ショップ、チーム・グッズの店、そしてスタジアムと、チケットの買い方は様々であった。)
大急ぎで、そのレップブリカ広場にあるキオスクのようなチケット売場に辿り着いた僕に返って来た言葉は、無常にも「売り切れ!」。発売は昨日だったらしく、あっと言う間に売り切れたらしい。
「もっと早く来れば、良かった・・・・・・・。」と落胆していると、ひとりのオヤジが話し掛けて来た。
「チケットなら、あるよ。」 ダフ屋である。きっと法外に高いんだろう・・・。そう思いながらも、一応聞いてみると、「100000リラ!(≒8000円)」
正規料金が60000リラ(≒4800円)の少し良い席だから、それ程高くはないではないか。後で分かったことだが、イタリアでは、ダフ屋という職業が法的に認められており、あらかじめチケットは横流しされると言う。だから、日本のような法外な額は付かないのだ。
10000リラで買っても良いが、もっと安くなる。そう思い、しつこく値切ってみると、糸も簡単に安くなってしまった。
「9000リラ(≒7200円)でどうだ!」
いいだろう。夢のようなゲームである。本当はチケットが手に入っただけで嬉しいのだ。
最後に、そのダフ屋は言った。
「ところで、お前! その帽子(トルコのサッカーチーム・ベシクタシュの帽子)は、止めた方がいいぞ!今、イタリアとトルコは揉めてるからな。」(▼注28)
僕はチケットを手に入れた後も、舞い上がったように、ボーっと広場に立っていた。すると、その一部始終を見ていた日本人が話し掛けて来た。
「今チケット買ってましたね。僕も観に行くんですよ。」
このN君と、この後、しばらく行動を共にすることになる。彼とは、すっかりサッカーの話で意気投合して、一緒にフィオレンティーナの練習を見に行くことになった。
練習場へはバスで20分程、フィオレンティーナのホーム・スタジアムであるアルテミオ・フランキの横にある練習場へ着いた時は、既に夕方。練習終了直前だったせいか、お目当てのバティストゥータはいなかったが、それでも、すっかり釘付けになってしまった。
この後、毎日のように練習を見に来た僕は、ユースホステルで会った日本人の女の子たちに、呆れられてしまった。
「フィレンツェで、どこの美術館が良かったですか?」
「はあ?・・・・・いや、どこも美術館行ってないんだけど・・・・・」
「えっ?? ウフィツィ(美術館)も行ってないんですか?」
「うん、まあ・・・・・」
「じゃあ、毎日何やってるんですか?」
「毎日、フィオレンティーナの練習見に行ってる。タダだし。」
「・・・・・・・。」
美術館に目もくれない、僕たちサッカーおたく2人は、ある日、グラウンドの出口で、練習が終わり、出て来る選手を待っていた。すると間もなく、2人の選手が出て来た。ひとりは、若手のDFタロッツィ、もうひとりは誰だかわからない。
すると、ウインドブレーカーのフードをすっぽり被って、顔がよく見えない方の選手が、僕の被っていたトルコのサッカー・チームの帽子を指差して、こう言った。
「ベシクタシュ!!」
その後、誰だか分からないまま、立ち去ってしまった、その選手に、後ろから来た、別の選手が声を掛けた。
「ルイ!!」
「えっ??ルイ??・・・・・・・ルイって・・・・・・・もしかして・・・・・・・」
そう、そうなのだ。その顔がよく分からず、僕に、「ベシクタシュ!」と言った、その選手「ルイ」とは、何とあの、フィオレンティーナの、そしてポルトガル代表の10番、ルイ・コスタだったのだ。
▼注28「イタリアとトルコ」 参考文献?
イタリアにいた1998年11月、ドイツから第1級指名手配されていた、クルディスタン労働党(PKK)のオジャラン氏が、イタリアの空港で逮捕された。
トルコは、早速イタリア政府に身柄の引渡しを要求したが、イタリア政府が引渡しを拒否したため、イタリアとトルコの間で険悪なムードが高まり、数日前にイスタンブールで行われた、チャンピオンズ・リーグのガラタサライ(トルコ)VSユベントス(イタリア)では、サポーター同士が乱闘し、イタリア人サポーターに死者が出た。
そのため、それ以降、ベシクタシュの帽子を、裏返しにして被ることになった。