フィレンツェ~ローマ(イタリア編3)


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 フィオレンティーナVSインテルのゲームは、バティストゥータフリーキックなどで、地元フィオレンティーナが3対1で勝った。

 試合そのものは、目当てであったロベルト・バッジオが精彩を欠き、途中交代。さらに、ロナウドも故障で欠場であり、全体的に、今ひとつの内容だったが、見所は、むしろサポーター同志の攻防にあった。


 フィオレンティーナインテルは、特別に仲が悪いことで有名であり、試合前から両者の間はピリピリ。フィオレンティーナのホームということもあり、大半をフィオレンティーナ・サポーターが埋め尽くす中、スタンドの一角に隔離されたかのように、インテル・サポーターが陣取っていた。

 両者の間は、当然、金網で仕切られているのだが、それだけでは心配なのか、その間に故意にスペースが開けられ、警官隊が見張っている。それにも関わらず、サポーターたちは、激しくやじり合い、ゲームが始まると、物を投げ合っている。

 そして、ついに、ゲーム終了後には、サポーターたちが、やり合わないように、別々に退場したにもかかわらず、スタジアムの外で大乱闘が始まってしまったのだ。なぜ、ここまで激しく対立し合うのだろうか。


 N君、そして一緒にゲームを観戦したY君の3人で、翌日、ローマへ行き、着いてすぐにローマ・テルミニ駅にある、バックパッカーの溜まり場、ペンショーネ・アレッサンドロへ向かった。

 この宿に来た理由のひとつに、キッチン付きであるということがあった。ユースホステルというところは、必ずキッチンが付いているものだと思っていたのだが、意外にそうでもないところが多い。そのため、キッチン付きの宿は人気があった。


 ローマを本拠とするサッカーチームは2つある。後に中田英寿が在籍することになるASローマ。そしてラツィオ。(▼注29)

 ペンショーネ・アレッサンドロの受付には、いつもラツィオのジャンパーを着たお兄さんがいた。そのことを聞いてみた。

ラツィオとローマのサポーター同志は、やっぱり仲が悪いの?」

「オレは、そうでもないけど、激しく嫌ってる人もいる。お前は、どこのファンなんだ?」

インテルかな。ロビー(ロベルト・バッジオ)がいるから。」

「おお、ロビーか、オレもロビーは大好きだ。」

ラツィアーレラツィオ・ファン)なのに?」

「ロビーが嫌いなイタリア人なんか、いないよ。」


 確かに、フィオレンティーナVSインテルのゲームでも、唯一、バッジオの存在だけは、別格のようであった。かつてフィオレンティーナに在籍し、サポーターたちが暴動を起こすほど、移籍に反対したにも関わらず、名門ユベントスに引き抜かれたバッジオは、ここフィレンツェでは、てっきり嫌われていると思っていた。

 ところが、後半途中で交代させられ、引き上げるバッジオに対して、あれだけ激しくインテルと対立し、野次り合っていたフィオレンティーナ・サポーターが、何と拍手をしているのだ。これには驚いた。


 「ロベルト・バッジオだけは特別」というのは本当であった。バッジオが、日本の某宗教団体の信者であるという事実があっても、全くその価値は、変わらないのだ。


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▼注29「ダービー」 参考文献「サッカーの世紀」後藤健生文藝春秋

 1つの都市に、2つ以上のクラブが存在し、その2つが激しい対抗意識を燃やして対戦するゲームを、ダービー・マッチと呼ぶ。

 数々の有名なダービー・マッチがあるが、その中でも、最も有名なダービーと言えば、後に中村俊輔が在籍することになる、スコットランド最大の工業都市グラスゴーに本拠を置く、セルティックVSレンジャース。

 セルチックは、貧しいカトリック系労働者のために、カトリック団体によって創られたクラブ。一方、レンジャースはプロテスタント系。

 両チームのライバル関係は、単なるカトリックプロテスタントの間の宗教的対立ではない。セルティックは、ケルトアイルランド系)の貧しいカトリックの労働者階級であり、レンジャースは、プロテスタントアングロ・サクソン系支配民族なのだ。

 つまり、グラスゴーを2分するセルティックVSレンジャースのゲームは、宗教的対立だけではなく、民族的、階級的な対立関係とも絡んでいるため、そこまで盛り上がるのだ。


 ローマとラツィオは、グラスゴーほど、明確ではないが、やはりここでも、かつては、ローマが労働者階級、ラツィオが支配階級という明確な色分けがあったという。

 その階級闘争は、現在では、かなり曖昧なものになってしまったが、両サポーターの対立振りは相変わらず。

 日本人には分かりにくいが、クラブ・チームのゲームとは、ある種、宗教や階級を含んだ民族同志の戦争であり、それを応援するというのは、非常にナショナリズムに基づいた民族的な行為なのだ。そう考えると、フーリガンの行動やファッションが、妙に右翼的なのも、頷ける気がする。