ニース(フランス編1)


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 NB君、M子さんと別れ、ひとりでフランス・ニース行の列車に乗るために、早朝からトリノ駅のホームに来ていた。


 ところが、列車の行き先が、なぜかイタリア側の国境駅であるベンティミリア止まりに変更されている。不思議に思い、駅員に尋ねてみると、こう答えが返って来た。

 「ショーペロ!」

 ショーペロって、何だろうか・・・・・と考える間もなく、すぐその状況を判断することが出来た。そう、ストであった。確かに、1週間前ジェノヴァで、フランス国鉄(SNCF)がストライキを起こしており、かなり長引いているという話は聞いていた。しかし、いくらフランスやイタリアで、ストは日常茶飯事であるとは言え、まだ続いていたとは。


 とにかく、ニース行のチケットを買ってしまったからには、行くしかない。1週間以上も、イタリアからフランスへ入ることが出来ないなんてことが、有り得るのだろうか。きっとベンティミリアへ行けば、フランスへ入る方法があるに違いない。そう信じ、列車に乗り込んだ。

 不安な僕は、列車の中で車掌や乗客たちに、片っ端から聞いてみたが、どうも要領を得ない。「多分、行けるんじゃないか。」「わからない。」など、みんな隣のフランスのことなど、知らないのだ。


 列車は、アルプス山脈の西端にあたる、雪の降り積もるモンビーゾ山周辺を越え、国境駅ベンティミリアへ到着した。ベンティミリアには、フランスへ抜けようとして、足止めを食っている多くの人たちが、待ちくたびれたように集まっている。

 どうやら、フランス行の列車は、動いていないようだ。1時間後にミラノから来るニース行の特急ユーロスターさえも運休しているのか、回転掲示板には、何も表示されていない。列車を待っていた人たちも、諦めたのか、どこかへ行ってしまい、僕を含めた4~5人だけが、ホームに取り残された。


 最悪の場合、ここに泊まらなければならないのか。冷たい風の吹き付けるホームの上で凍えながら、さらにボーっとしゃがみ込んでいると、突然、隣のホームにいた駅員がやって来て、叫んだ。

 「フランスに行くんだったら、早く4番線へ行け!発車するぞ!」

 一緒にいた4~5人とともに、訳が分からないまま、言われた通りに4番線ホームへ走った。すると、何とフランス・カンヌ行のローカル列車が止まっているではないか。

 「本当にこれはフランスへ行くのか?」

 そう、疑問に思いながら、周囲の乗客を見回して驚いた。先程、ホームで一緒に待っていて、諦めて、どこかへ行ってしまったと思った人たちではないか。そうなのだ。諦めて、どこかへ行ってしまったのではなく、「4番線からカンヌ行の特別列車が出る。」というアナウンスを聞いて、4番線に移っただけなのだ。

 そして、そのアナウンスが理解出来なかった僕が取り残されたのだ。そう言えば、残っていた4~5人は、すべてヨーロッパ人ではなく、中国人と黒人ばかりであった。僕と同じく、イタリア語(フランス語?)のアナウンスが分からなかったのかもしれない。


 カンヌ行の列車に乗り、すっかり安心してしまったので、座り込むと同時に爆睡してしまった。今朝は5時起きだったのだ。列車は、地中海沿いをひた進み、モナコを過ぎ、間もなくニースという頃に、窓から差し込む温かさに目を覚ました。

 イタリア側の国境周辺は、雪の降り積もる極寒地帯であったのに、そこからわずか1時間程で、こうも変わるものだろうか。


 ニースに着くと、さっそく地中海特有の温かい陽気に誘われるかのように、海へ出た。もう12月であると言うのに、Tシャツ1枚でジョギングしている人もいる。

 これなら、寝袋1枚あれば、海岸で野宿も出来るだろう。そう思いながら、砂浜を歩いていると、本当に海岸で暮らしているホームレスたちが現れた。おそらく、イタリア・フランス間で、トイレに隠れて、国境を越えていた人たちと同じ、アルバニア人であるようだ。

 イタリア、フランスなどに密入国する人々の多くは、イラン、トルコ、バルカン半島と続く「闇のシルクロード」を通って、やって来る。国籍は、ルート上のある各国だが、やはりコソボアルバニア人が圧倒的に多い。戦争を逃れ、ヨーロッパに逃げ出した人々である。次いで多い密入国者は、クルド人であると言う。


  そのアルバニア人たちの近くの砂浜に座り込み、感慨に耽った。大阪から船に乗り4ヶ月、随分と遠くまで、やって来たものである。もちろん、これからも旅は、まだ続くのだが。

 さらに、思いを廻らせながら、光り輝く海を見ているうちに、実家のある湘南の海を思い出した。

 久し振りに、日本の友人に、国際電話でもしてみようと思った。