バレンシア~グラナダ(スペイン編4)


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 長く滞在したバルセロナを後にして、地中海沿いにバスで移動し、バレンシアに2日程滞在した後、さらにバスに乗り、アンダルシア地方のグラナダへやって来た。


 アンドラからバルセロナへ向かった時以上に、その気候の変化が感じられる。アンダルシアへ向かう度に、強い光が差し込んで来た。しかし、しばらく進み、山間部に差し掛かると、再び冷え込み始め、グラナダに降り立つと、雪がチラ付き始めた。 

 僕はバスを降りるところを間違え、散々、道に迷った挙句、ようやくアルハンブラ宮殿近くの宿に辿り着いた。スチームの前で、冷え切った体を温めて、一息付いた後、すぐにインターネット・カフェに向かう。


 この頃、数日おきにインターネット・カフェへ行き、バルセロナで別れたメイ君やノブ君、そして日本の友人から来ているメールをチェックし、返事を出すのを楽しみにしていたのだ。

 思えば、アジアでは、大都市の電話局まで足を運び、順番待ちをして、ようやく国際電話をしたり、大使館宛てに手紙を送ってもらった物が届かずに苦労したりしていたのに、こんな簡単に、しかも安く連絡が取れてしまうとは。

 バックパック旅行を始めた大学時代には、考えられなかったことである。海外も、もはや遠い場所ではないのだ。そして、この日も、何通かメールが届いていた。その中には、日本の友人からのメールもあった。


 そのメールを読んで、日本の友人たちのことを思い出していた。そして、10年来の大親友であり、旅仲間でもある、Rのことも。

 カフェを出ると、まっすぐに公衆電話に向かった。そして親友Rに、国際電話を掛けた。すると、すぐに彼の元気そうな声が聞こえてきた。旅の間、何度か彼に国際電話をしたがつながらず、心配していたが、ようやく連絡が付いたのだ。

 「ひさしぶり。いやあ、実は引越ししてたんだ。あれから、色々あってねえ・・・・・。オレも旅に出たいよ。いつ帰ってくるの?色々と、会って話したいことがあるんだよ。早く帰って来てくれよ・・・・・・・・」

 彼は、一方的に喋り続けていた。もう2度と、会うことが出来ないなどとは、もちろん、お互い知らずに。


 親友Rとは、僕が旅に出る直前の1998年7月、彼の大塚のボロ・アパートに泊まって、壮行会をしてくれた。翌日、一緒に巣鴨を散歩して、夕方、大塚駅前で握手をして、別れた。

 これが、彼に会った最期となってしまった。

 最後に彼は、「無事に帰って来いよ」と言っていた。その時、僕の方に何かあって、もう会えないなんてことは考えたが、まさかその逆になるとは想像が付くはずもなかった。


 そのままのイスラムの雰囲気が漂うアンダルシア・グラナダの街をウロウロしていた。(▼注34)

 そして、足は、自然と教会の中へ向かっていた。まるで外界とは、閉ざされたかのような、異質の空間。この教会の静寂が、何だかとても気持ち良く、吸い込まれるかのように眠りに落ちた。

 どれぐらい眠っていたのか。回りのざわめきに目を覚ました。ミサが始まっていたのだ。今更、外へ出るわけにも行かず、訳の分からないまま、ミサに参加しなければならなくなった。

 立ち上がって、何かを唱えたり、十字を切ったり、挙句の果ては、隣に座っていた老婆と握手して、頬にキスされる始末。

唖然としながらも、最後まで無事に旅が続くように祈っておいた。

「アメン!」


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▼注34「アンダルシア」 参考文献?

 8世紀に、ジブラルダル海峡を渡って、やって来たイスラム勢力は、瞬く間にイベリア半島を制圧し、西イスラム帝国を興した。10世紀には、首都コルドバを中心に、アル・アンダルスと呼ばれた帝国は全盛期を迎えた。

 しかし11世紀に入り、アル・アンダルスが小国に分裂すると、イスラム文化の中心地は、セビリアへ移った。一方、徐々に巻き返しを図っていたキリスト教勢力は、コルドバセビリアを次々に奪回。

 そんな中、ここグラナダは、最後のイスラム国として、1238年独立した。アルハンブラ宮殿は、そんな時代に、王の権力と栄華を見せつけるかのように生まれた、正統イスラム美術の代表作なのだ。

 やがて、キリスト教勢力の合併により、スペイン帝国が誕生すると、ついに1492年グラナダは陥落。アルハンブラ宮殿も開城された。