リスボン(ポルトガル編1)


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 メイ君と別れ、マドリッドから夜行列車に乗り、ついにユーラシア大陸横断としては最後の国となる、16カ国目、ポルトガルの首都リスボンへやって来た。


 スペインからポルトガルへ入っても、大きな変化はないだろう。いい加減に思っていたが、リスボンのサンタ・アポローニア駅からロシオ広場周辺の繁華街までバスで行き、港の付近を散歩していると、スペインとは全く違ったポルトガル特有の空気が伝わってくる。

 スペインの情熱的な雰囲気とは対照的に、ポルトガルの伝統歌謡ファド(▼注35)、その哀しい音色が今にも聞こえて来そうな哀愁漂う雰囲気は、正に最果て。ついにここまで来た、という感慨を抱かせる。


 ここリスボンから、ユーラシア大陸の最西端・ロカ岬までは、ローカル列車とバスを乗り継げば、わずか1時間ちょっとで行くことが出来る。

 大阪から船で旅立って、約半年。目標であった、「陸路のみによるユーラシア大陸横断」を達成するのに、秒読みというところまで来ているのだ。その後、どうするのか。その答えを、ついに出さなければならない。


 連日のように、やたらに坂道の多い街の至るところを歩き回り、夜になると、バールでビールを飲みながら、これからのことを考えた。

ポルトガルからセネガル(西アフリカで唯一、ヴィザ無しでも入国出来る。)へ飛び、マリなど西アフリカを回る。

○南仏で一緒だった、LAに住んでいるノブ君に会うために、アメリカへ飛ぶ。

○目標は達成したのだから、日本に帰る。


 3つの案が浮かぶが、結論が出ないままに、チケット・オフィスに足を運び、格安航空券を調べてみる。すると、思った以上に、ロサンゼルス行のチケットが安いではないか。

 航空券は片道でも、往復でも、それ程、値段は変わらない。しかも、アメリカへは、片道だけの航空券では入国出来ない。不法滞在を防止するためである。

 ロサンゼルスまでの往復チケットを購入して、一旦ロサンゼルスへ飛ぶ。そこから、南米へ行く足掛かりにもなるし、日本へ帰ることも出来る。そして、もちろん復路チケットを使い、ヨーロッパへ戻り、アフリカへ行くことだって出来る。

 要するに、結論を出すのを先送りにする訳だが、ずっとユーラシア大陸を西へ西へと進んで来て、最西端ロカ岬に辿り着き、さらに西へ、大西洋を越えアメリカ大陸へ飛ぶというのも悪くはない。

 

 雨の降りしきるリスボンの街を、目的もなく歩き回り、丘の上にあるサン・ジョルジェ城へ辿り着いた。依然として雨の降り続く中、誰もいない城塞にひとり佇み、薄暗いリスボンの街を見下ろした。

 明日は晴れるに違いない。ロカ岬まで行ってみようと思う。


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▼注35「ファド」 参考文献?

 ファドの歴史は以外に新しく、19世紀リスボンの裏町で、ポルトガル固有の音楽や、アラブ、アフリカ、ジプシーの音楽などが交じり合って生まれたと言われている。

 大航海時代に、南米に連れて行かれた黒人の奴隷たちの踊りを起源として、港町リスボンと輸入され、リスボンでブームとなった。その踊りが徐々に他文化と出会う中で、形を変えて行き、現在のような叙情的な歌謡となって行く。

 その間、ファドを歌い継いで来たのは、やくざ、売春婦など、最下層の人々であった。

 スペインのフラメンコの激しさや情熱とは対照的に、内面的なものを切々と歌い上げるファドには、人生の苦しみ、破れた夢への喪失感など、様々な感情が託されている。その基盤になっているのが、サウダージという感情である。

 「サウダージ(SAUDEDE)」、これはポルトガル人の気持ちを表す代表的な言葉として知られており、日本語にすると、「憂い」や「哀愁」。

 大航海時代、世界史上に名を馳せた、海を越えての栄光は、今のポルトガルからは、ほとんど感じられない。そして、この最果てという地理的条件も、彼らをファドに走らせる理由かもしれない。