カシュガル(中国編7)


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 旅を続けるに当たって、一番大切なものは何だろうか?

 命や体は別として、やはり現金、トラベラーズチェック、クレジットカード、パスポートだろうか。もしそれを全部失ってしまったら・・・・・、考えたくもないが・・・・・。

 そういう男の話である。


 カシュガルの同じドミトリーのイギリス人の男が、慌てた顔で部屋に飛び込んで来た。

 「オレのパスポートと金がないんだ。知らないか?」

 「はあ???・・・・・・・」 知る訳がない。

 聞いてみると、シャワーを浴びている時、外にパスポート、財布を置いていたところ、盗まれたと言うのだ。当然、共同シャワー、共同トイレなので、いつ他人が入って来るかは分からない。外に置きっ放しにするなんて、何て無防備でバカなんだろうと思ったが、今にも泣き出しそうな彼の顔を見ていると、とてもそうは言えなかった。他人事ではないのだ。

 しかし、よく考えると、つまりそれは、宿の従業員か宿泊客が犯人であるということか。僕も疑われているのだろうか。

 現金は返って来る訳はない。そしてパスポートも。そう、ここは中国の西の端。パスポートを再発行するには、北京まで戻らなければならない。彼は自転車旅行中で、これから僕と同じくパキスタンへ向かうはずだというのに、もう旅を終わらせるしかないかもしれない。


 もし自分が同じ状況に陥ったら、どうするであろうか。急に不安になり、考えを廻らせた。

 例えば、日本大使館のない国で、パスポートを無くしたら、どうするのか。色々な人に聞いてみたが、どうもよく分からない。

 「アメリカ大使館が何とかしてくれるのでは?」

 「日本から送ってもらうしかない。」

 「日本大使館のある隣国への出国を許可してもらう。」

 意見は様々だが、おそらく、どこの国かによっても、違うのだろう。考え出しても切りがないが、出来るだけ、そうならないように考えていることもある。

 僕は基本的に、貴重品は首から下げて、服の下に隠しているが、それだけでは不充分なので、ジーンズの裏に現金、キャッシュカードを縫い付けている。

 また、違う口座のシティバンクのワールドキャッシュ・カードを予備として、別のバッグなどに入れておき、万が一、ジーンズに縫い付けてある方のカードを無くした場合、至急、日本の家族に連絡して、現金を、もう一方の口座に移し変えてもらう。完璧ではないが、もうこれ以上は、どうしようもない。もし、それでダメだったら、その時、考えるしかない。


 北京とカシュガル、広い中国の西と東で、こんなにも離れているというのに、強引にも北京時間に合わせているため、午後10時になっても、まだ明るいのだ。まるで白夜のように。もっとも、ウイグル人たちは、そんな時間は無視して、時差のある独自のウイグル時間で生活をしているようだが、旅行者は、どうしたらよいのか、混乱してしまう。(▼注6)


 僕は、日の暮れないカシュガルの街を歩き回っていた。中央アジアと中国を結ぶ要衝として、シルクロード貿易とともに、多くの民族、文化が行き交って来た、この街の、職人街やバザール、ウイグル人居住区などを歩きながら、これから訪れるイスラムの国々に思いを馳せた。

 迷子になってしまいそうな、何とも広いバザールでは、50時間バスで一緒だったオランダ人たちと偶然会い、その後、パキスタンのスストまでのバスの値段を見ようとして行った其尼瓦克賓館では、やはり50時間バスのパキスタン人オヤジと会った。さらに街を歩いていると、今度はトルファンの宿の屋上で、一緒にワインを飲んだ日本人旅行者2組とも会ったのだ。

 まるで、僕の出会ったすべての旅行者が、ここカシュガルに集まっているかのような錯覚に陥ったのか、ふと旅行者の集まるカフェに入り、無意識にある顔を探していた。ウルムチで別れたケミーは、天山南路を南下して、クチャ(亀茲)からホータン(和田)へ向かう途中に、カシュガルへも寄ると言っていたのだが。

 

 午前0時を過ぎて、ようやく日の暮れた街を、トボトボと宿へ向かって、帰っていた。宿が近付くに連れて、すっかり忘れていた「彼」のことを思い出した。

 宿に戻り、部屋に入ろうとすると、既に彼は寝ているのか、カギが掛かっている。部屋を強くノックすると、彼が中からカギを開けてくれた。

 「国の家族から、金を送ってもらうことになったんだ。」 彼は、そう言うと、ようやく、笑顔を見せた。どうやら彼は、僕を疑ってはいないようで、少し安心して、眠りに就いた。それにしても、誰が盗んだのだろうか。


 翌朝、宿のロビーで、彼が従業員と話し込んでいた。ロビーには、何人かの宿泊客が座っている。そのロビーに座り、タバコを吸いながら、ふと呟いてみた。

 「犯人はこの中にいる!」



▼注6「新彊ウイグル自治区」 参考文献「?」

 中国の西の辺境、その名が語る通り、元々は、トルコ系民族の地であり、特に、ここカシュガルでは、人口の約25万人のうちの91%が、ウイグル族で占められている。

 かつて、トルコ(テュルク族)は、モンゴルから中央アジアの広大な地域に暮らしており、現在、トルキスタンと呼ばれる、このウイグル自治区の語源は、そこにあるのだ。

 8世紀、テュルク帝国より独立したウイグル帝国は、このトルキスタンだけでなく、モンゴルにかけての広大な地域を制圧していた時期もあったが、その後、いくつかの歴史を経て、11世紀、チンギス・ハンのモンゴル帝国に帰属、帝国崩壊後は、清朝に帰属と、苦難の歴史が続く。

 そして1912年、辛亥革命により、清朝が崩壊すると、ウイグル族は再び立ち上がり、1933年に東トルキスタンイスラム共和国、1944年には東トルキスタン共和国と相次いで建国する。しかし、それもつかの間で、中国共産党中華人民共和国を建国すると、「新彊ウイグル自治区」として、今度は漢民族に支配され、現在に至るのだ。

 現在この地では、独立運動が頻発しており、特に1990年代以降は、暴動が多発、1997年には、ウルムチで連続バス爆破事件が発生したほか、カザフスタン国境に近い伊寧市でも、死者多数を出す衝突があった。

 イスラム原理主義運動が自治区内に波及し、アフガニスタンイスラム原理主義組織タリバンで、軍事訓練を受けているウイグル族過激派もいるという。