ウルムチ~カシュガル(中国編6)

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 長かった中国鉄道の旅も終わり、ここから先の天山南路はバスしかない。ここウルムチからタクラマカン砂漠の西端に位置するオアシスの町、カシュガル(喀什)まで、予定では33時間。


 外国人料金ということで、2倍するというチケットには困ったが、運良く話し掛けて来た中国人に買ってもらえることになり、不安を掻き立てられそうなボロバスに乗り込んだ。(外国人料金の2倍というのは、現在では廃止されているにも関わらず、一部政府から通達が行き届いていない地域があるらしい。本当は、知っていて、無視しているという気もするが。)


 自分のチケットに書いてある番号の席にいると、車掌がやって来た。

 「家族を一緒にするから、後ろへ移ってくれないか。」

 「わかった。」 後ろへ移ると、今度は・・・

 「カップルがいるから、後ろのスペースへ移ってくれないか。」

 「しょうがないな。」と、後ろへ移ると、今度は・・・

 「上に移ってくれ。」

 「いい加減にしてくれ!上は安い席じゃないか!」と怒ると・・・

 「対不起!対不起!(悪い、悪い!)」

 やはり、言うことは言わなければならない。

 このバスは、一応、2階建ての寝台バスなのだ。それだけ言うと、「なんだ、楽なんじゃないか。」と思われそうだが、とんでもない。

 普通のバスを無理矢理、ベニヤで上下2階に分け、前の方は、寝返りも出来ない程狭い1人分のスペースがいくつかあり、僕がいる後ろの方は、申し訳程度に3人くらいづつ寝れるスペースが仕切られてあるだけなのだ。

 やはり寝返りどころか、頭を上げることすら出来ない。おまけに3人のスペースに強引に5人を詰め込んだ上に、隣は巨漢のパキスタン人オヤジであった。とにかく、ひたすら耐えるしかないのだ。

 僕の、いや、みんなの不安を抱えたまま、ゆっくりと超満員のバスは走り始めた。街を離れ、やがて何もない荒野をひた走る。デコボコ道が何時間も続いていた。バスが大きくジャンプして、揺れるたびに、上下左右と大きく揺さぶられ、体を叩きつけられた。

 いったいカシュガルに着くまで、体が持つのだろうか。僕は隣の巨漢パキスタン人オヤジにしがみ付いていたため、この時点では、まだ難を逃れていたが、前の方にいたオランダ人は、頭を出っ張りにぶつけ、出血する始末。まだ出発したばかりだというのに。

 いったい、どのくらいでカシュガルに着くのか。隣のパキスタン人オヤジに聞いてみた。

 「カシュガルまでは、本当に33時間なんですか?」

 「40時間かかったと言う人もいれば、60時間かかったと言う人もいる。いつになったら、着くのか、私にも全く分からない。」

 途方に暮れた。


 タクラマカン砂漠のどの辺りなのか、車内はうだるように暑いが、窓を開ければ砂埃、決して開けることは出来ない。おまけに隣のパキスタン人オヤジとくっ付いて、より一層、暑いが、とにかく動くことも出来ないのだから、どうしようもないのだ。

 しかし、最初は暑苦しくて、迷惑だと思っていたパキスタン人オヤジだが、唯一の話し相手として、ありがたくも思えて来たのだ。彼はパキスタンのカラチから行商のために中国へやって来て、これからパキスタンへ帰るらしい。

 「ビジネスはどうでしたか?」と尋ねると、「中国人はケチだ!」と嘆いていた。どうやら、うまく行かなかったようなのだ。彼は、哈密瓜などフルーツをくれたり、とても親切にしてくれた。

 このパキスタン人オヤジと僕以外に、このバスに乗っていた外国人は、前の方の席にいたオランダ人のグループ。彼らとは、食事休憩の時間に仲良くなったのだが、どうやって、正規料金でチケットを手に入れたのかと、何度も言われて困ってしまった。可哀相に彼らは、2倍料金を払っていたのだ。

 彼らは、アムステルダムで中学校教師をしているらしい。

 「アムステルダムでは、非常に治安が悪化していて、中学生の犯罪も多いんだ。」

 「日本でも、中学生がナイフで先生を刺す事件がありましたよ。」

 「日本でも、そんなことがあるのか!オランダも多いよ。」

 それを聞いていたパキスタン人オヤジは、唖然として、こう言った。

 「信じられないよ。」 僕だって、信じられないが、このバスの方がもっと信じられない。


 バスは依然として、砂埃の中をひたすら進んでいた。相も変わらず、窓は開けられず、時々激しい揺れがやって来る。食事以外では、ほとんどバスを止めようとはしない。ドライバーは2人いるとは言え、大した体力である。こんなところ、普通の人なら、1時間も運転出来ないであろう。それを休憩もせずに、夜も走るのだ。

 休憩が少ないと、困るのがトイレの問題である。オランダ人の1人が、下痢をしていたらしく、何度もバスを止めてもらっては、失笑を買っていた。僕もそのついでにバスを降り、用を足そうとした。

 すると何と、一面荒野で、どこにも隠れるところなどないではないか。ふと先に降りたオランダ人を見ると、唯一、バスから死角になっているバスの後ろに、しゃがみ込んでいたのだ。それ以外、どこで用を足しても、バスから丸見えである。

 今は一体どこにいるのか。もし、こんなところに置いてきぼりにされたら、どうしたらよいのだろうか。そんなことを想像してしまった。

 後に知り合った、ある旅行者は実際に、このタクラマカン砂漠の途中で置いてきぼりにされたらしい。彼もバスを止めてもらい、用を足していた。すると、突然バスが発車し始めたのだ。彼は追いかけることも出来ずに、ただ唖然と、その場に立ち尽くし、次第に事の重大さに気付き、どうしたらよいのか分からなかったと言う。

 四方どちらへ行っても、ひたすら荒野、そして砂漠である。どちらへ進んでいても、遭難していただろう。結局、彼の場合は、バスが折り返して戻って来たため、助かった訳だが、そのまま忘れ去られるなんてことも、実際にありそうで怖い。

 もっとも僕の場合は、パキスタン人かオランダ人が運転手に言ってくれるだろうが。「バスの中では、存在感をアピールしておけ!」とは、そういう理由なのだ。


 33時間で着くという予定のバスは、予想通り遅れていた。当初の予定では、1泊のみで、2日目の夜には、着くはずだったが、全くカシュガルに着く気配はなく、2度目の眠りに就いていた。もっとも、昼間はほとんど身動きも出来ず、寝ているに等しい訳だから、昼も夜もないはずだ。

 しかし、夜になったと実感するのは、その寒さからなのだ。昼間と打って変わる砂漠の気候。昼間は暑苦しく感じた隣のパキスタン人オヤジも、この時ばかりは、ありがたく感じていた。

 またも聞いてみた。

 「バスはかなり遅れてるみたいだけど、一体、何時間掛かるんですかね?」

 「分からない。40時間、60時間・・・・・」 やはり答えは同じであった。

 最初の頃は、隣のパキスタン人と会話をしたり、フルーツを食べたりもしていたが、2日目、3日目にもなると、次第に何もする気がなくなり、ひたすら、じっとするだけである。こんな時、酒でも飲めば、時間も潰れるというものだが、トイレに行きたくなると厄介なので、それも出来ない。もはや打つ手はないのだ。


 3日目の朝を迎えた辺りから、もうどうでもよくなってしまった。いつ着くかなんて、どうでもいい。何日でも走り続ければいいじゃないか。いつまでも乗っていてやるさ。半ば、ヤケになって来た。

 依然バスは走り続ける。再び、うだるような暑さがやって来て、砂埃が舞う。それが過ぎて、日も落ち始めると、今度は寒さがやって来る。何度それが繰り返されるのを見ただろうか。永遠に、それが続くのではないかという錯覚に陥る。


 夕方になり、17時間遅れで、ついにバスはカシュガルに到着した。50時間、その数字以上の激しい移動。ヨタヨタとバスから降りた、顔は真っ黒、体は擦り傷、切り傷、あざだらけであった。

 宿を決めて、ドミトリーに入ると、知っている顔が。ウルムチで会った日本人の女の子2人であった。彼女は飛行機で、カシュガルまでやって来たのだ。飛行機では、わずか数時間。一方、僕は・・・・・

 「あれから、3日もバスに乗ってたんですか!」 彼女たちは呆れていた。


 この天山南路コースも、数年後には、カシュガルまで鉄道が開通するらしい。